“としまちょう”の漢字の書き方と例文
語句割合
豊島町100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
宇平の姉りよは細川長門守興建ながとのかみおきたけの奥に勤めていたので、豊島町としまちょうの細川邸から来た。当年二十二歳である。三右衛門の女房は後添のちぞいで、りよと宇平とのためには継母である。
護持院原の敵討 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
森「おうい、豊島町としまちょう棟梁とうりょうか」
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
当時の江戸分間大絵図えどぶんけんおおえずというものをけみするに、和泉橋いずみばし新橋あたらしばしとの間の柳原通やなぎはらどおりの少し南に寄って、西から東へ、おたまいけ松枝町まつえだちょう、弁慶橋、元柳原町もとやなぎはらちょう佐久間町さくまちょう四間町しけんちょう大和町やまとちょう豊島町としまちょうという順序に
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)