豆州ずしゅう)” の例文
いかなる秘策やある?——ふたたび豆州ずしゅう家のお下屋敷目ざして息づえあげさせました——雪はもとより降りつづいて、文字どおりの銀世界。
船大工の寅吉、これは豆州ずしゅう戸田の人で、姓を上田と言い、その頃、日本でただ一人と言ってもよろしい、西洋型船大工の名棟梁めいとうりょうでありました。
大菩薩峠:19 小名路の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
湯は菖蒲の湯で、伝説にいう源三位げんざんみ頼政のしつ菖蒲の前は豆州ずしゅう長岡に生れたので、頼政滅亡の後、かれは故郷に帰って河内村の禅長寺に身をよせていた。
秋の修善寺 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
東京付近では房州ぼうしゅう〔千葉県の南部〕、相州そうしゅう〔神奈川県〕、豆州ずしゅう〔伊豆半島と伊豆七島〕へ行けば得られる。
植物知識 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
これはもとより精神作用だが、豆州ずしゅう修善寺の御伺おうかがいの石もその一例である。修善寺には源頼家みなもとのよりいえの墓があって、その上石うわいしが一般に人の吉凶禍福をぼくすることになっている。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
これより先、愚僧はかの百両の大金、豆州ずしゅうの湯治場を遊び廻り候ても、わずか拾両とは使ひ申さず。
榎物語 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
夕方永代えいたいの橋から見ると羽田はねだの沖に血の色の入道雲が立っているがあれこそ国難のしるしであろう——流言蜚語ひご豆州ずしゅう神奈川あたりの人は江戸へ逃げ込むし、気の早い江戸の町人は在方を指して
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「もらった手紙には、豆州ずしゅう侯の遺産だと書いてあった」
房州の洲崎すのさきで船の建造に一心を打込んでいた駒井甚三郎——その船は、いつぞや柳橋の船宿へ、そのころ日本唯一の西洋型船大工といわれた豆州ずしゅう戸田へだの上田寅吉を招いて相談した通り
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
しかしながら始より国許へ立帰り候所存とては無之事これなきことに候間、東海道を小田原おだわらまで参り、そのまゝ御城下に数日滞在の上、豆州ずしゅうの湯治場を遊び廻り、大山おおやま参詣さんけい致し、それより甲州路へ出で
榎物語 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
老中という顕職にある信綱のぶつなばかり、特に一人であったというのは、こういうとき多くの家の子郎党を召し連れていったら、閣老豆州ずしゅうの従者という意味で、将軍が特別の下されものなぞあそばして