薩長さっちょう)” の例文
薩長さっちょう人士の中には慶喜を殺せとの意見をいだくものも少なくないので、このことはいろいろな意味で当時の人の心に深い刺激をあたえた。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
足利あしかが時代以来の名家であるとか、維新の際には祖父が勤王の志が、厚かったにもかかわらず、薩長さっちょうに売られて、朝敵の汚名おめいを取り、悶々もんもんうちに憤死したことや
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
当時とうじ幕府の進歩派小栗上野介おぐりこうずけのすけはいのごときは仏蘭西フランスに結びその力をりて以て幕府統一のまつりごとをなさんとほっし、薩長さっちょうは英国にりてこれにこうたがい掎角きかくいきおいをなせり。
当時会津あいづを主とする佐幕の諸藩と薩長さっちょう以下勤王諸藩の軋轢あつれきは、女師匠の稽古屋けいこやに若衆の入り込むていを借り、あるひは五月幟ごがつのぼりもとに子供が戦遊いくさあそびをなすていに倣ひて最も痛快辛辣しんらつに諷刺せられき。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
かつては敵として戦った薩長さっちょう両藩の人士と握手する位置に立ち、兵器弾薬のたぐいまで援助を惜しまないについては、その意見にも相応な理由はあった。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
彼は戊辰ぼしん前後の国事に尽力したことにかけては薩長さっちょう諸侯に劣らない老公のような人をも自分の子に見て置けというつもりで、当時和助が東京の小学校に在学するよしを老公に告げた。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)