箕山きざん)” の例文
要するに澹父と書したものが最多い。坂本箕山きざんさんが其藝備偉人伝の下巻かくわんに引いてゐる「尾道贈伊沢澹父」の詩題は其一である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
と。(一五)なにもつしようせられたる。(一六)太史公たいしこういはく、箕山きざんのぼりしに、其上そのうへけだ許由きよいうつかりとふ。
げうが自分の治めてゐた天下を譲らうとするのを、にべもなくはねつけて、箕山きざんの奥に隠れた許由きよいうが、あるとき口がひどく渇くので、谿河の水際におりて
独楽園 (新字旧仮名) / 薄田泣菫(著)
章吉、名は王臣わうしんあざな以寧いねい箕山きざん猶賢いうけんと号した。わざはひに遭ふものは皆其族人であつたらしい。擾乱の由来等は不詳である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
坂本箕山きざんさんも亦、頼綱らいかうの族であらうと云ふ。綱、字は子常しじやう、号は立斎りつさい、通称は常太つねたで、公遷の子である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)