竹柏園ちくはくえん)” の例文
わたしは日本橋区の通油町とおりあぶらちょうというところから神田小川町おがわまち竹柏園ちくはくえん稽古けいこに通うのに、この静な通りを歩いて、この黒い門を見て過ぎた。
江木欣々女史 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
竹柏園ちくはくえんの一流、その他尾上おのえ金子かねこなどの一流とすなわち今日のいわゆる新派とはほとんど関係がないと思います、第一趣味の根底が違ってますからね。
子規と和歌 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
八重竹柏園ちくはくえんに遊びて和歌を学びしは久しき以前の事なり。
矢はずぐさ (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
その後ほどなくわたしは竹柏園ちくはくえん先生のお宅の、お弟子たちの写真箱の中から、中島写真館で見出みいだしたとおなじ人の、おなじ写真を見出した。
大橋須磨子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
花の三月、日本橋倶楽部クラブで催された竹柏園ちくはくえんの大会の余興に、時の総理大臣侯爵桂大将の、寵娘おもいものの、仕舞しまいを見る事が出来るのを、人々は興ありとした。
一世お鯉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
おかしな事に、肋膜で病らったあの大病のあとの、短い日数ひかずのうちに、あたしは竹柏園ちくはくえんへ入門していることだ。
佐佐木竹柏園ちくはくえん先生御夫妻の共著だが、その一二五頁「思ひ出づるまに/\」大正七年六月の一節に
樋口一葉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
「好い先生といえば、ねえ、お師匠さん、依田先生が、和歌も学んだ方が好いから、竹柏園ちくはくえんに通ったらどうだと仰しゃって、入門のことを話しといてあげると仰しゃいました。」
市川九女八 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
竹柏園ちくはくえんに通われたこともあったようだったが、ぬきんでた詠があるとはきかなかった。しかし、その結婚から、燁子さんという美しい女性の存在が世に知られて、物議をもかもした。
柳原燁子(白蓮) (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
黒い立派な大きな門をもったこの邸の構内には、藤島さんという、伯父には長官にあたる造幣局のお役人のお宅があった。竹柏園ちくはくえん佐佐木信綱ささきのぶつな先生の夫人おくさまがそこのお嬢さんだった方だ。
その辰巳屋たつみやのおひなさんも神田で生れて、吉原の引手茶屋桐佐きりさの養女となり、日本橋区中洲なかすの旗亭辰巳屋おひなとなり、豪極ごうきにきこえた時の顕官山田○○伯をつかみ、一転竹柏園ちくはくえんの女歌人となり
明治美人伝 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
もうやがて二昔ふたむかしに近いまえのことでした。わたしは竹柏園ちくはくえん御弟子おでし一人ひとりに、ほんの数えられるばかりに、和歌をまなぶというよりは、『万葉集』『湖月抄』の御講義を聴講にいっておりました。
大塚楠緒子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)