疥癬かいせん)” の例文
たとえ漢中の張魯が、わが国にあだをなすとも、それは疥癬かいせん(皮膚病)のやまいにすぎぬ。けれど玄徳を引き入れるのは、これ心腹の大患です。不治の病を
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
結局ちぢくれて疥癬かいせんかきになる——をあずかっている雌鶏のような、一千の思想とぼさぼさの頭とをもった人々。
が、最後には僅か九貫目の体重になって死んだ。戸坂潤は、栄養失調から全身疥癬かいせんに苦しめられて命をおとした。ひろ子は、これらの話をきいたとき泣いた。
風知草 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
身についた汚穢おわいは堪らなかった。僕はその生温いよごれた着物を一枚一枚と脱ぎ棄てながら歩いたのだ。しかもその足には怠惰という疥癬かいせんが一面に巣喰っていた。
二十歳のエチュード (新字新仮名) / 原口統三(著)
わかい時疥癬かいせんのために衰弱したのを、父が温泉に連れて往ってしたことが、文集に見えている。抽斎は艮斎のワシントンの論讃を読んで、喜んで反復したそうである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
三世紀の疥癬かいせん大流行など自然の成り行きで、シェテレやパルセヴァルやトリスタンやイソールト
こんな不安な病気になる位だつたら、引揚げて来た時にやつた疥癬かいせんの方がまだましなのだと、ゆき子は若い医者が、富岡に、余計な事を云つてくれなければよいがと思つた。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
のみか、しらみ、或いは疥癬かいせんの虫など、竹筒に一ぱい持って来て、さあこれを、お前の背中にぶちけてやるぞ、と言われたら、私は身の毛もよだつ思いで、わなわなふるえ、申し上げます
皮膚と心 (新字新仮名) / 太宰治(著)
日本中に、東京中に、工場ができた。四の橋のあたりにも、芝浦辺の大工場の下請け工場がいっぱいできた。川沿いに、きたない小工場が疥癬かいせんみたいに蔓延まんえんした。これが俺の眼に映じた現実である。
いやな感じ (新字新仮名) / 高見順(著)
そして復員者が疥癬かいせんを蔓延させた。
長崎の鐘 (新字新仮名) / 永井隆(著)
愚です。玄徳の変は、いわばお体にできた疥癬かいせんの皮膚病です。捨ておいても、今が今というほど、生命とりにはなりません。何といっても、心腹の大患は、曹操の勢威です。これを
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
春の風には百日咳ひゃくにちぜき黴菌ばいきんが何十万、銭湯には、目のつぶれる黴菌が何十万、床屋には禿頭とくとう病の黴菌が何十万、省線の吊皮つりかわには疥癬かいせんの虫がうようよ、または、おさしみ、牛豚肉の生焼けには
人間失格 (新字新仮名) / 太宰治(著)
今は民族の生活における春の季節にすぎないのかもしれない。われわれは「七年間つづく疥癬かいせん」はわずらったかもしれないが、まだコンコードにおいては「十七年間生きる蝉」は見たことがない。
「袁紹は、きものうすい、決断のない、いわゆる疥癬かいせんともがらという人物さ。大事におうては身を惜しみ、小利をみては命も軽んじるという質だ。そんな人間が、いかで時代の英雄たり得ようや」
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)