王政維新おうせいいしん)” の例文
王政維新おうせいいしん成敗せいはいは内国の事にして、いわば兄弟朋友ほうゆう間の争いのみ、当時東西相敵あいてきしたりといえどもその実は敵にして敵にあらず
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
王政維新おうせいいしんはだれがやったと思いますか? おもに毛利様や島津様の家来たちが骨を折っている。平民はいっこうあずかっていません。ただ恩典を受けているだけです。
苦心の学友 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
されば王政維新おうせいいしんの後、新政府にては各国公使を大阪に召集しょうしゅうし政府革命かくめいの事を告げて各国の承認しょうにんを求めたるに、もとより異議いぎあるべきにあらず、いずれも同意をひょうしたる中に
しかりといえども勝氏もまた人傑じんけつなり、当時幕府内部の物論ぶつろんはいして旗下きかの士の激昂げきこうしずめ、一身を犠牲ぎせいにして政府をき、以て王政維新おうせいいしんの成功をやすくして
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
またらに一歩をすすめてかんがうれば、日本の内乱に際し外国干渉かんしょううれいありとせんには、王政維新おうせいいしんの後に至りてもまた機会きかいなきにあらず。その機会はすなわち明治十年の西南戦争せいなんせんそうなり。
一杯やると発作的ほっさてきに催す。遠く王政維新おうせいいしん廃藩置県はいはんちけんの頃にさかのぼって
小問題大問題 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
しかるにここ遺憾いかんなるは、我日本国において今を去ること二十余年、王政維新おうせいいしんこと起りて、その際不幸にもこの大切なる瘠我慢やせがまんの一大義を害したることあり。
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)