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武田信玄
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たけだしんげん
ふりがな文庫
“
武田信玄
(
たけだしんげん
)” の例文
今わたくしの
手近
(
てぢか
)
にある系図には、一豊の弟は
織田信長
(
おだのぶなが
)
に仕えた
修理亮
(
しゅりのすけ
)
康豊
(
やすとよ
)
と、
武田信玄
(
たけだしんげん
)
に仕えた
法眼
(
ほうげん
)
日泰
(
にったい
)
との二人しか載せてない。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
越後の上杉家とは、それから間もなく、
上野国
(
こうずけのくに
)
の国境で、
小競
(
こぜり
)
あいがあり、甲州の
武田信玄
(
たけだしんげん
)
は、久しく
鳴
(
なり
)
をひそめていた
鼓
(
こ
)
を鳴らして
篝火の女
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
昔
武田信玄
(
たけだしんげん
)
と
上杉謙信
(
うえすぎけんしん
)
はたがいに
覇業
(
はぎょう
)
を争うた、その結果として双方はたがいに研究しあい、武田流の軍学や上杉風の戦法などが日本に生まれた。
ああ玉杯に花うけて
(新字新仮名)
/
佐藤紅緑
(著)
この書は、それ自身の標榜するところによると、
武田信玄
(
たけだしんげん
)
の老臣
高坂弾正信昌
(
こうさかだんじょうのぶまさ
)
が、
勝頼
(
かつより
)
の
長篠
(
ながしの
)
敗戦のあとで、若い主人のために書き綴ったということになっている。
埋もれた日本:――キリシタン渡来文化前後における日本の思想的情況――
(新字新仮名)
/
和辻哲郎
(著)
川中島に陣をとった
武田信玄
(
たけだしんげん
)
のようだ。まつ毛一本だって動かさない。なぜだろうか?
昭和遊撃隊
(新字新仮名)
/
平田晋策
(著)
▼ もっと見る
ただ富貴という点から論ずるならば、
武田信玄
(
たけだしんげん
)
のごときは智謀にすぐれ、ねらうところ百発百中でありながら、しかも一生涯を通じてその威勢をわずかに甲・信・越の三国にふるうだけでありました。
雨月物語:02 現代語訳 雨月物語
(新字新仮名)
/
上田秋成
(著)
天文
(
てんもん
)
十五年のころ、
武田信玄
(
たけだしんげん
)
の軍勢が、
上杉憲政
(
うえすぎのりまさ
)
を攻めて
上野乱入
(
こうずけらんにゅう
)
にかかったとき、
碓氷峠
(
うすいとうげ
)
の陣中でとらえたのがこの
鷲
(
わし
)
であった。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
先に
武田信玄
(
たけだしんげん
)
が死んでから七年目に、
上杉謙信
(
うえすぎけんしん
)
が死んだ。
佐橋甚五郎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
武田信玄
(
たけだしんげん
)
というものがある。
ああ玉杯に花うけて
(新字新仮名)
/
佐藤紅緑
(著)
機山大居士
(
きざんだいこじ
)
武田信玄
(
たけだしんげん
)
の
孫
(
まご
)
、
天性
(
てんせい
)
そなわる
威容
(
いよう
)
には、おのずから人をうつものがあるか、こういうと呂宋兵衛にしたがう山犬武士ども、おもわず耳の
膜
(
まく
)
をつン
抜
(
ぬ
)
かれたように、たじたじとして
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
これは、
武田信玄
(
たけだしんげん
)
がよく用いた甲州流兵学の特徴であったが、
長篠
(
ながしの
)
の
合戦
(
かっせん
)
ののち、徳川家には多くの武田の遺臣が身をよせていたので、家康の戦術には、以来、いちじるしく信玄風が加味されていた。
新書太閤記:10 第十分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
武
常用漢字
小5
部首:⽌
8画
田
常用漢字
小1
部首:⽥
5画
信
常用漢字
小4
部首:⼈
9画
玄
常用漢字
中学
部首:⽞
5画
“武田信”で始まる語句
武田信賢