松任まっとう)” の例文
加賀大聖寺だいしょうじの城主、拝郷はいごう五左衛門家嘉いえよし、石川郡松任まっとうの城主徳山五兵衛則秀のりひで、ふたりとも、柴田譜代ふだいの重臣だし、勝家が股肱ここうの老職たちだった。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
十歳とおばかりの頃なりけん、加賀国石川ごおり松任まっとうの駅より、畦路あぜみちを半町ばかり小村こむら入込いりこみたる片辺かたほとりに、里寺あり、寺号は覚えず、摩耶夫人おわします。
一景話題 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ところは松任まっとう、町の手前の畷道なわてみちにかかったとき、六兵衛は昂軒の姿をみつけた。背丈が高く、肩の張った骨太の、逞しい躯つきは、うしろからひとめ見ただけで、それとわかった。
ひとごろし (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
すでに、松任まっとうの利長も参加し、所在の武者も、駈け集まったので、この朝の総人数は、三千五、六百人とかぞえられた。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
松任まっとうより柏野水島などを過ぎて、手取川を越ゆるまでに源平島と云う小駅あり。里の名にちなみたる、いずれ盛衰記の一条ひとくだりあるべけれど、それはいまだ考えず。
一景話題 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
野々市ののいち松任まっとう笠間かさま手取川てとりがわ——と各地の、のろし山からのろし山へ、音響の駅伝えきでんとなって、轟音がうけつがれ、つかのまに、非常事ありの警報が
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
祖母としよりは、その日もおなじほどの炎天を、草鞋穿わらじばきで、松任まっとうという、三里隔った町まで、父が存生ぞんしょうの時に工賃の貸がある骨董屋こっとうやへ、勘定を取りに行ったのであった。
瓜の涙 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
秀吉は、利家の友誼ゆうぎむくゆるに、加賀の石川、河北の二郡を附したほか、子息の利長にも、松任まっとう四万石を与え、代りに、府中の城は、これを収めた。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
松任まっとうのついでなれば、そこに名物を云うべし。餅あり、あんころと云う。
一景話題 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
松任まっとうから尾山城まで——利家が案内に立って、秀吉とその軍旅ぐんりょは、長い線を、えんえんと描いた。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
能登のとの前田、加賀尾山おやまの佐久間盛政、越前大野の金森長近、加賀松任まっとうの徳山則秀、越中富山の佐々成政などをわせ、百七十余万石、動員兵力量四万四、五千にすぎない。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)