曹叡そうえい)” の例文
「魏王曹叡そうえいが、宛城えんじょうへ勅使を馳せつかわして、閑居の司馬懿しばい仲達を平西へいせい都督に封じ、って彼の出廬しゅつろを促しているもようにうかがわれます」
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「後日、わが蜀にうれいをなす者があるとすれば、おそらく彼であろうよ。——大魏皇帝の統を曹叡そうえいがうけたことなどは、心にかけるまでもないが」
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これにもとづいて、三重臣は、曹叡そうえいを後主と仰ぎ、また曹丕に文帝とおくりなし、先母后せんぼこう甄氏しんしには、文昭皇后の称号を奉った。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ひとたびは曹丕そうひの信寵もうけたが、曹丕歿後、新帝曹叡そうえいの代になってからは、ほとんど顧みられなくなり、近頃はことに、何かにつけ、軽んじられ
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
……さればとて、積極的に出ようとしたわが秘策は敵に漏れたゆえ、曹叡そうえいを包囲中に捕える手段も今は行われない
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
で——太子曹叡そうえいは、この郭女王に幼少から養われて、苦労もしてきたが、性は至極快活で、少しもべそべそしていない。とりわけ弓馬には天才的なひらめきがあった。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、いさめた公卿くげもある。もちろん曹叡そうえいにはかれない。のみならず斬首された者もあった。
三国志:12 篇外余録 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
五丈原以後——「孔明ハカリゴトノコシテ魏延ヲ斬ラシム」の桟道さんどう焼打ちのことからなお続いて、魏帝曹叡そうえいの栄華期と乱行らんぎょうぶりを描き、司馬父子の擡頭たいとうから、呉の推移、蜀破滅、そして遂に
三国志:12 篇外余録 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
まさに、国費の濫費らんぴである。曹叡そうえいほどな明主にして、なおこのへいに落ちたかと思うと、人間性の弱点のおちいるところみないつにしているものか、或いは、文化の自然循環と見るべきものか。
三国志:12 篇外余録 (新字新仮名) / 吉川英治(著)