摂河泉せっかせん)” の例文
楠公一族が、忠烈な碧血へきけつをもって苔と咲かせた摂河泉せっかせんの石を、湊川みなとがわまで運ばせて、大きな碑を建てよう——という計画であるらしくうかがわれた。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ひがしの方の京都を中心とする山城の平野と西の方の大阪を中心とする摂河泉せっかせんの平野とがここで狭苦しくちぢめられていてそのあいだをひとすじの大河がながれてゆく。
蘆刈 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
住吉ノ浦は、住吉四座の境内から敷津しきつ粉浜こはままで、ほとんど松ばかりの砂地だが、摂河泉せっかせんの街道、木妻こづまノ辻の辺は柳が多い。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大魚が池中にはいったので古い池水は氾濫はんらんした。摂河泉せっかせんの村々や、山地へかくれた三好松永の残党や、その与党たちだった。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
よしまた摂河泉せっかせんすべての守護地頭が、幕府に寝返りを打って彼に協力したとしても、とるにたらない数で、しょせん、何万という兵にはならない。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
われらは摂河泉せっかせんの糧道を断ち、また、新田殿や千種ちぐさ殿は、京の山々にって、ときには出て戦い、折には引き、洛内の敵に、安き眠りも与えぬなら、やがて足利勢も、もがき出しましょう。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
荒木村重の離脱に、摂河泉せっかせんの三好、松永党の陣形は、動揺をおおえなかった。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
遠くは摂河泉せっかせんの山野から、石川、東条川などの村落も近々見わたせる。西、東、北の三方は高地の展望をめ、南の高塚山や桐山の方から入ると、ただの狭い一平地の平城ひらじろにすぎないのだった。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)