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えちがわ
ふりがな文庫
“
愛知川
(
えちがわ
)” の例文
彼は、この六月、
愛知川
(
えちがわ
)
の宿で、生前の北畠
具行
(
ともゆき
)
から、もっと多くの“宮方連判”の名をきいていた。——それを思い、これを思い合せれば
私本太平記:06 八荒帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
江州は
野洲川
(
やすがわ
)
の上流、および
愛知川
(
えちがわ
)
の上流のもので、丹波は和知川のものがもっともよい。
若鮎の塩焼き
(新字新仮名)
/
北大路魯山人
(著)
愛知川
(
えちがわ
)
、小野、四十九院、
摺針
(
すりばり
)
、
番場
(
ばんば
)
、
醒
(
さめ
)
ヶ
井
(
い
)
、
柏原
(
かしわばら
)
。そして、伊吹のふもとまで、つつがなければもう近い。しかし、遠いここちでもあった。
私本太平記:08 新田帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
と、奥州出発いらい、およそ二十八、九日めに、やっと近江
愛知川
(
えちがわ
)
の湖畔に着いた。いや着くやいな、戦旅の疲れも、
鎧虱
(
よろいじらみ
)
や泥土を払う
暇
(
いとま
)
もなく
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
日の出を合図に、先鋒は
愛知川
(
えちがわ
)
を押し
渉
(
わた
)
っていた。そして翌朝はもう観音寺の城と、
箕作城
(
みつくりじょう
)
の二つへ攻めかけていた。
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
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「六角どのは、昨夜、
愛知川
(
えちがわ
)
の辺から俄に方向を変えて、京へ引っ返してしまったもようでございますぞ!」
私本太平記:08 新田帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
なるほど、その前夜、
愛知川
(
えちがわ
)
の宿では、具行卿をよろこばせ、おなさけぶかいことでおざった。はははは
私本太平記:07 千早帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ゆうべは
近江
(
おうみ
)
愛知川
(
えちがわ
)
ノ
宿
(
しゅく
)
だった。そして今日も、春の日長にかけて行けば、美濃との境、
磨針峠
(
すりばりとうげ
)
の上ぐらいまでは、脚をのばせぬこともないと、馬上、
舂
(
うすず
)
きかける陽に思う。
私本太平記:01 あしかが帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
南近江の
六角承禎
(
ろっかくじょうてい
)
を破ってその領土を拡張し、信長がこの地方に
驥足
(
きそく
)
をのばしてきた頃には、浅井家の領土は、
愛知川
(
えちがわ
)
を境とするほど、目ざましい進出を遂げていた時だった。
新書太閤記:04 第四分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
奥州の北畠
顕家
(
あきいえ
)
が、北の精兵七千騎をひきつれ、長途、王軍をたすけるべく
疾風迅雷
(
しっぷうじんらい
)
のように西下して、はや不破を越え、今日にも、近江
愛知川
(
えちがわ
)
には着くであろうとのことだった。
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
道誉を先頭に、具行の
輿
(
こし
)
をかこんだ人馬は、その朝、
愛知川
(
えちがわ
)
を越えた。
私本太平記:05 世の辻の帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“愛知川”の解説
愛知川(えちがわ)は、滋賀県東部(湖東地域)を流れる淀川水系の一級河川。
(出典:Wikipedia)
愛
常用漢字
小4
部首:⼼
13画
知
常用漢字
小2
部首:⽮
8画
川
常用漢字
小1
部首:⼮
3画
“愛知”で始まる語句
愛知
愛知潟
愛知郡
愛知銀行