御牧みまき)” の例文
けれど、ゆうべ碓氷権現うすいごんげんの境内に、その将門、将頼、将文などの手勢が、宿営したという噂は、途々、何度も耳にした事だし、また佐久さく御牧みまきでも今
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
地久節には、私は二三の同僚と一緒に、御牧みまきはらの方へ山遊びに出掛けた。松林の間なぞを猟師のように歩いて、小松の多い岡の上では大分わらびを採った。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
と云うのは、あなた方も名前は御存知であろうが、維新の際に功労のあった公卿くげ華族で御牧みまきと云う子爵ししゃくがある。
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
この身延みのぶさはと申す處は、甲斐の國飯井野いひゐの御牧みまき波木井はきゐ箇郷かがうの内、波木井郷はきゐがう戊亥いぬゐの隅にあたりて候。
この時の三里塚の歌の中には 四方より桜の白き光射す総の御牧みまきの朝ぼらけかな などいふ佳作もある。
晶子鑑賞 (新字旧仮名) / 平野万里(著)
御牧みまき基賢さんの云ふを聞くに、薫子は容貌が醜くかつたが、女丈夫ぢよぢやうふであつた。昭憲皇太后の一条家におはしました時、経書を進講した事がある。又自分も薫子の講書を聴いた事がある。
津下四郎左衛門 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
一族の十郎左衛門忠秋、御牧みまき三左衛門、荒木山城守、諏訪飛騨守すわひだのかみ奥田宮内おくだくないなどに取り巻かれ、床几しょうぎはそこにおいてあったが、一ときもその床几にっていなかった。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
亭主は望遠鏡まで取出して来て、あそこに見えるのが渋の沢、その手前のくぼみが霊泉寺の沢、と一々指して見せた。八つが岳、蓼科たでしなの裾、御牧みまきが原、すべて一望の中にあった。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
その古の相貌は、まことに美しい潮入り川で、蘆荻ところどころ、むさしの側は、丘は鬱蒼として、下總野しもふさのの、かつしかあがたは、雲手くもでの水に水郷となり、牛島の御牧みまきには牛馬が放牧されてゐた。
大川ばた (旧字旧仮名) / 長谷川時雨(著)
光秀を中心として、ここに帷幕いばくしている荒木山城守、奥田宮内くない諏訪すわ飛騨守、御牧みまき三左などの諸将も
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
御牧みまき三左衛門、奥田宮内くない、明智十郎左衛門、進士作左衛門しんしさくざえもん、妻木忠左衛門、溝尾庄兵衛みぞおしょうべえなど、明智家譜代ふだいの名だたる勇将は、ことごとくこれへ殺到したといってよい。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
諏訪飛騨守すわひだのかみ御牧みまき三左衛門、荒木山城守、四方田但馬守しほうでんたじまのかみ、村上和泉守いずみのかみ三宅みやけ式部、そのほか幹部たちのおびただしい甲冑かっちゅうの影が幾重にも光秀を囲んで、鉄桶てっとうのごときものを作っていた。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
御牧みまき三左衛門どのの一軍も、敵の重囲に落ちて、苦戦を極め、辛うじて、御牧どの以下、およそ二百ばかり、一団となって、西久我の部落まで、落ちのびておられましたが——その御牧どのが
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)