嵯峨野さがの)” の例文
その結果、同門の一族協議の末に、仁和寺にんなじのさる高僧に頼んで、光子の御方を尼として、嵯峨野さがのの奥へ行い澄ませようと謀った。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と妓王は、二十一という花の盛にいさぎよく別れを告げると、髪を切って嵯峨野さがのの奥に小さないおりをつくって引籠ひっこもってしまった。
秋のふぜいがあふれるようで、いつまで眺めても飽きることがない、妹たちもこの家にいるじぶんは嵯峨野さがのうつしなどといって自慢の一つにしていた。
日本婦道記:風鈴 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
嵯峨野さがの御堂みどうに何もそろっていない所にいらっしゃる仏様へも御挨拶あいさつに寄りますから二、三日は帰らないでしょう
源氏物語:18 松風 (新字新仮名) / 紫式部(著)
鞭を横たえて嵯峨野さがのの月に立った彼の烏帽子えぼし姿は、ありありとわたしの眼に残っている。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
その当時、新橋駅付近に、千成せんなりと名乗る嵯峨野さがのの料理職人が、度胸どきょうよく寿司屋稼業を始め、大衆を相手にして、いつの間にか職人十数人を威勢よくあごで使って、三流寿司を握り出した。
握り寿司の名人 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
昭和七年十月十九日 嵯峨野さがの吟行。二条、巨陶居。
五百句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
かつての承久ノ乱や、寿永じゅえい治承じしょうの大戦のさいでも、都の北山、嵯峨野さがののおくには、平家のきずなや権門をのがれ出た無髪の女性たちには、修羅の外なる寸土の寂地じゃくちがゆるされていたともいう。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「つい都を離れる前の日ごろ。嵯峨野さがのの辻で」
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)