小康しょうこう)” の例文
おそらくここ小康しょうこう時代の平和をむさぼりぬすんでいた武家権門のはいは、勝者の誇りをって、ほしいままに、京女の撫で切りをやっていたかとも思われる。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
滝田くん最後さいごったのは今年の初夏しょか丁度ちょうどドラマ・リイグの見物日けんぶつび新橋しんばし演舞場えんぶじょうへ行った時である。小康しょうこうた滝田くんは三人のおじょうさんたちと見物けんぶつに来ていた。
滝田哲太郎君 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
一時小康しょうこうを得て、オペラを書いたり、指揮者になったりしたが、気鬱症きうつしょうは次第につのって、一八五四年二月には突然発作を起してライン河に投じ、その時は人に救われたが、二年後の七月
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
三日ばかり小康しょうこうが続いたあとには、恐ろしい破綻が待ち受けていた。
(新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
朝廷もここはすっかり小康しょうこうをえた安心感にとらわれていたのである。——尊氏はしょせん再起もおぼつかなかろう。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いわば京都の平和は、京都の中だけの小康しょうこうだった。——それもしいて天龍寺造営の名でかもされていた表面的な景気にすぎない——。むしろ累卵るいらんの危うさに似るものだったともいえる。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
どっちつかずの消極的な小康しょうこうをたもってはいるものの、それも宮方の動向如何いかんでは、いつ「——伊吹をも、ふみつぶせ」と、新田方の兵が、攻めかかって来ないとはかぎッていない。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いや、そちは残れ、あとも大事ぞ。……この蔵帳の要務なども、家職のそちよりほかに預けおく者はない。ともあれ、世も小康しょうこうと見えたら、たちついえなどはツメても、まず百姓の年貢ねんぐ
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこでこの小康しょうこう時代に、彼は露骨にあたりの女界を観て、思うさまな女色をなめずり出した。それも下婬げいんは問題でない。彼がかわいていたのは、いわゆる上婬の女性で、貴種でなければならなかった。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)