孔融こうゆう)” の例文
孔融こうゆう三国さんごく時代の人であるが、この話が十八世紀のフランスに伝はつて、ヴオルテエルの逸話になつたとは考へられない。
才一巧亦不二 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
と、策を議して、北海ほっかい山東省さんとうしょう・寿光県)に急使を派し、孔子二十世の孫で泰山の都尉とい孔宙こうちゅうの子孔融こうゆうに援けを頼んだ。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
人の推挙などというものは、うっかりできないものである——と、ひとり恐れ悔いて、当惑の色ありありと見えたのは、禰衡ねいこうを推挙した孔融こうゆうであった。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
北海ほくかい孔融こうゆう矢張やはり神童だつた。
才一巧亦不二 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
総兵力は八ヵ国といわれ、その八諸侯は、王匡おうきょう鮑信ほうしん喬瑁きょうぼう袁遺えんい孔融こうゆう、張楊、陶謙、公孫瓚などであった。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と云つたのを孔融こうゆうが聞いて
才一巧亦不二 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
孔融こうゆうは心のうちで、今にも曹操が、禰衡を殺害してしまいはせぬかと——眼をふさいで、はらはらしていた。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
山陽鉅鹿きょろくの人で李典りてんあざな曼成まんせいという者だの——徐州の刺史しし陶謙とうけんだの——西涼せいりょう太守たいしゅ馬騰ばとうだの、北平ほくへい太守の公孫瓚こうそんさんだの——北海の太守孔融こうゆうなんどという大物が、おのおの何千
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
孔融こうゆうのことばが終る頃には、曹操の顔いろも常に返っていた——にもと、うなずいて、二人の死罪はゆるす代りに、その官爵を取りあげて、身の処置は、後日の沙汰と云い渡した。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
曹操は八十余万の大軍を催し、先鋒を四軍団にわかち、中軍に五部門を備え、後続、遊軍、輜重しちょうなど、物々しい大編制で、明日は許都を発せんと号令した。中太夫孔融こうゆうは、前の日、彼に諫めた。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
廷尉は、一隊の武士と捕吏をひきつれ、不意に孔融こうゆうの邸を襲った。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
どうも孔融こうゆうは、丞相じょうしょうにたいして、お怨みを抱いているようです。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)