女御にょうご)” の例文
兼実の女宜秋門院ぎしゅうもんいんが後鳥羽天皇の女御にょうごとして入内じゅだいのときの屏風の歌や、良経邸での歌会の歌やばかりで占められているといってもよい位である。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
恋の重荷を負いながらその重量おもさに耐えかねて、死んで女御にょうごたたったという、山科荘園の幽霊に、かたどり作った仮面である。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
これまでに、女御にょうごきさきの御産の時に大赦が行なわれたことがあったが、今度の御産の時も大赦が先例に従って行なわれ、多くの重罪の者も許された。
いかなる女御にょうご更衣こういとても、こう素裸にして見たなら干鮭の一匹ぐらいは出てこようと。
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
秀次は又、朝廷に白銀三千枚を上納し、五百枚を第一の皇子に、五百枚を准三宮藤原晴子に、五百枚を女御にょうご藤原前子に、三百枚を式部卿智仁親王に、五百枚を准三宮聖護院道澄に献じた。
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
やがて皇太子も御元服となられたのをしおに、姫を入内させた。立后りっこうはべつであるが、尚侍ないしのかみじょせられ、お添い臥しはかなうのである。麗景殿でんにおかれたので「麗景殿ノ女御にょうご」ともよばれた。
美しい日本の歴史 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
中宮の妹原子が東宮の女御にょうごとして淑景舎しげいしゃに入られたのは、中宮二十歳の時であるが、清少納言は、衣裳のことを気にせられる女らしい中宮の面影などを点出しつつこの時の儀式を詳細に描いた後に
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
「何も、娘たちを、あんな官の低い男のところに嫁入らせるために育てたつもりはない、ゆくゆくは、女御にょうごきさきにと念じて教育もしてきたのに、それでは余りになさけない」
宇多天皇の女御にょうごに上って京極御息所きょうごくみやすどころと云われた女子があったが、これも短命を以て終り、他の一人の女子仁善子と醍醐だいご天皇の皇太子保明親王との間に生れた康頼王は、時平の外孫に当り
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
白河法皇の女御にょうごで、最後は、ろう御方おんかたと呼ばれる、花山院の上﨟じょうろうであった。