商估しょうこ)” の例文
関白頼通高野参詣の頃における淀・山崎等の散所も、またこの要津に居所を定めて、往来の旅客商估しょうこに役せられて、生活していたものであろうと解せられる。
俗法師考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
しかし他家に仕えようという念もなく、商估しょうこわざをも好まぬので、家の菩提所ぼだいしょなる本所なかごう普賢寺ふけんじの一房に僦居しゅうきょし、日ごとにちまたでて謡を歌って銭をうた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
土着した古代人は戦闘と農耕と漁猟と商估しょうことを同一人で兼ねていた。まだ分業は起らなかった。後世の如く体質の軟化しなかった女子は男子と共にそれらの事に従った。
私の貞操観 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
ここに至りてようやく其者流に移る者多し。およそ儒者に漢土のことを談ずるときは意をそそいでき、商估しょうこに利得のことをはなしするときは耳をそばだてて聴く。農や工や皆しかり。
平仮名の説 (新字新仮名) / 清水卯三郎(著)
博覧会閉会ののち巴里にとどまり修学せんと欲したれど学資に乏しかりしかば志を変じ商估しょうことなり、その宿泊せる下宿屋の一室に小美術舗しょうびじゅつほを開きぬ。時に明治十七年の正月元旦なり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
きたる、我もまた往かざるを得ず。修交、通商、航海は、期せずして各大名の手によりて、おもなる商估しょうこの手によりて行われ、天文二十年には、我が邦人にして、葡萄牙ポルトガル国に到り客死かくししたるものあり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
その持ち去ったのは主に歌舞音曲おんぎょくの書、随筆小説の類である。その他書画骨董こっとうにも、この人の手から商估しょうこの手にわたったものがある。ここに保さんの記憶している一例を挙げよう。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)