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われら
ふりがな文庫
“
吾人
(
われら
)” の例文
鋼索
(
こうさく
)
、
化學用
(
くわがくよう
)
の
諸
(
しよ
)
劇藥
(
げきやく
)
、
其他
(
そのほか
)
世人
(
せじん
)
の
到底
(
たうてい
)
豫想
(
よさう
)
し
難
(
がた
)
き
幾多
(
いくた
)
の
材料
(
ざいりよう
)
を
蒐集中
(
しうしふちう
)
なりしが、
何時
(
いつ
)
とも
吾人
(
われら
)
の
氣付
(
きづ
)
かぬ
間
(
ま
)
に
其
(
その
)
姿
(
すがた
)
を
隱
(
かく
)
しぬ。
海島冒険奇譚 海底軍艦:05 海島冒険奇譚 海底軍艦
(旧字旧仮名)
/
押川春浪
(著)
女学雑誌社を代表者として、現出せし一派の
流行思想
(
カレント、ソート
)
(
吾人
(
われら
)
は之れを唯心的、凡神的の傾向と云ふ、直ちに之を唯心論、凡神論なりとは曰はず)
唯心的、凡神的傾向に就て(承前)
(新字旧仮名)
/
山路愛山
(著)
吾人
(
われら
)
は
堕
(
お
)
ちて世間にある事を記憶せざるべからず、出世間の出世間の事を行ふより、在世間の出世間の事を行ふの寧ろ大にして、真なる事を記憶せざるべからず。
各人心宮内の秘宮
(新字旧仮名)
/
北村透谷
(著)
吾人
(
われら
)
皆望を君に属せり、而して君は吾人を
舎
(
す
)
てゝ去れり。予は文壇に於て最も多く君に攻撃せられたり、私交に於て最も多く君に親しまれたり。
北村透谷君
(新字旧仮名)
/
山路愛山
(著)
吾人
(
われら
)
は非精無心の草木と共に生活する者にあらず。
「油地獄」を読む:(〔斎藤〕緑雨著)
(新字旧仮名)
/
北村透谷
(著)
▼ もっと見る
烈女
阿正
(
オマサ
)
の如き、義侠深愛、貞節の如き美徳は之を貴き今日の娘子軍に求むべからず、
蓋
(
けだ
)
し
吾人
(
われら
)
が之を求め得ざりしは其眼界の狭きが為ならん
英雄論:明治廿三年十一月十日静岡劇塲若竹座に於て演説草稿
(新字旧仮名)
/
山路愛山
(著)
吾人
(
われら
)
は思想の自由を尊ぶが故に信条を掲げて以て去就を明かにせんとする也。天下の心は猶天下の面の如し。人々異なれり、誰れか狭隘の
譏
(
そしり
)
を免れん、誰れか独断の譏を免れん。
信仰個条なかるべからず
(新字旧仮名)
/
山路愛山
(著)
論じて
此
(
こゝ
)
に到れば、
吾人
(
われら
)
は今文明の急流中に
棹
(
さをさ
)
して、両岸の江山、
須臾
(
しゆゆ
)
に面目を改むるが如きを覚ふ、過去の事は歴史となりて、巻を
捲
(
ま
)
かれたり、往事は之れを追論するも益なし
英雄論:明治廿三年十一月十日静岡劇塲若竹座に於て演説草稿
(新字旧仮名)
/
山路愛山
(著)
吾人
(
われら
)
は今
爰
(
こゝ
)
に印度の公子とナザレの木匠とを比較せんとする者に非ず、何となれば、斯る議論は「宗教家」として徒らに争論の資を作るが如きものたるのみならず、其生長の年歴さへ
英雄論:明治廿三年十一月十日静岡劇塲若竹座に於て演説草稿
(新字旧仮名)
/
山路愛山
(著)
吾人
(
われら
)
嘗
(
かつ
)
て陶淵明幽居を写すの詩を読み、此間有
二
真意
一
、欲
レ
弁已忘
レ
言といふに至つて其自然と己とを合して自他を忘却し、
非自覚的
(
アンコンシァスネス
)
に自然を楽しむの妙を
言顕
(
いひあら
)
はせしに敬服したりき。
凡神的唯心的傾向に就て
(新字旧仮名)
/
山路愛山
(著)
“吾人”の意味
《名詞》
われわれ。わたしたち。
(出典:Wiktionary)
吾
漢検準1級
部首:⼝
7画
人
常用漢字
小1
部首:⼈
2画
“吾人”で始まる語句
吾人共