可畏おそろ)” の例文
「K君、ふかい谷だね。」と私は筋違に向ひ合つて居る友達の方を見て言出した。「景色が好いなんていふところを通越して、可畏おそろしいやうな谷だね。」
伊豆の旅 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
明るい波濤なみ可畏おそろしい音をさせて、二人の眼前めのまえへ来ては砕けた。白い泡を残して引いて行く砂の上の潮は見る間に乾いた。復た押寄せて来た浪に乗って、多勢の船頭ははしけを出した。
(新字新仮名) / 島崎藤村(著)
『人気といふやつ可畏おそろしいものです。高柳君が彼様あゝいふことになると、最早誰も振向いて見るものが有ません。多少つかませられたやうな連中まで、ずつと市村さんの方へかしいで了ひました。』
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
立木の儘枯れた大きな幹が行先の谷々に灰白く露出あらはれて居た。馬丁べつたうに聞くと、杉の爲に壓倒された樅の枯木だといふ。この可畏おそろしげな樹木の墓地の中を、一人、吾儕の方へ歩いて來る者があつた。
伊豆の旅 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
「僕の生涯には暗い影が近づいて來たやうな氣がするね、何となく斯う暗い可畏おそろしい影が——君は其樣そんなことを思ひませんか。尤も、僕には兄が死んでる。だから餘計に左樣さう思ふのかも知れない。」
伊豆の旅 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
三吉が過去の悲惨であったも、かつてこういう可畏おそろしい波の中へ捲込まきこまれて行ったからで——その為に彼は若い志望をなげうとうとしたり、落胆の極に沈んだりして、多くの暗い年月を送ったもので有った。
家:01 (上) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)