南岳なんがく)” の例文
手競画譜しゅきょうがふ』を見る。南岳なんがく文鳳ぶんぽう二人の画合せなり。南岳の画はいづれも人物のみを画き、文鳳は人物のほかに必ず多少の景色を帯ぶ。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
われ小石川白山はくさんのあたりを過る時は、かならず本念寺に入りて北山ほくざん南畆両儒の墓を弔ひ、また南畆が後裔こうえいにしてわれらが友たりし南岳なんがくの墓に香華こうげ手向たむくるを常となせり。
礫川徜徉記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
椿岳の号は即ち師の一字を許されたのであった。椿年は南岳なんがくの弟子で、南岳は応挙の高足源琦たかあしげんきに学んだのだから、椿岳は応挙の正統の流れを汲んだ玄孫やしゃご弟子であった。
わたくしはむかしシナの南岳なんがくという山にんでいて、長年ながねんほとけみち修行しゅぎょういたしました。こんど日本にほんくにまれてることになりましたから、むかしのとおりまたおきょうんでみたいとおもいます。
夢殿 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
この人或日の夕元園町もとぞのちょうなる小波先生の邸宅に文学研究会あり木曜日の夜湖山こざん葵山きざん南岳なんがく新兵衛しんべえなんぞ呼ぶ門人多く相集まれば君も行きて見ずやとてわれを伴ひ行きぬ。
書かでもの記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
○前にもいふた南岳なんがく文鳳ぶんぽう二人の『手競画譜』の絵について二人の優劣を判じて置いたところが、或人はこれをばくして文鳳の絵は俗気があつて南岳には及ばぬといふたさうな。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
○余が所望しょもうしたる南岳なんがく艸花画巻そうかえまきは今は余の物となつて、枕元に置かれて居る。朝に夕に、日に幾度となくあけては、見るのが何よりの楽しみで、ために命の延びるやうな心地がする。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)