千蔭ちかげ)” の例文
清音すがねと人がぶのは、千蔭ちかげ風の書をかいたり、和歌を詠んだり、国学に通じていたりするので、その方の名が、通称となったものらしい。
山浦清麿 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ある日は「御料理仕出し」の招牌かんばんをたのまれて千蔭ちかげ流の筆をふるい、そうした家の女たちから頼まれる手紙の代筆をしながらも
樋口一葉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
小身であっても武家奉公をし、医を志した馬琴である。下駄屋の入夫にゅうふを嫌って千蔭ちかげに入門して習字の師匠となった馬琴である。
八犬伝談余 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
天明の頃千蔭ちかげという歌詠みがございましたが、此の人は八丁堀の与力で、加藤と申す方でございまして、同じ与力に吉田という人がございます
木村文河、名は定良さだよしあざなは駿卿、通称は駿蔵、一に橿園きやうゑんと号した。身分は先手与力さきてよりきであつた。橘千蔭ちかげ、村田春海はるみ等と交り、草野和歌集を撰んだ人である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
その門下にも加藤千蔭ちかげや村田春海はるみのやうに、国典の研究者といふよりは、むしろ歌文の秀才が輩出した。真淵の学統を真に受け継いだ者は、本居宣長唯一人と言つてもよい。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
更に九条家旧蔵本、真淵校本、千蔭ちかげ校本その他の諸本には皆「いう」となっている。
駒のいななき (新字新仮名) / 橋本進吉(著)
「ああ、これは寛永二十年の活字本で珍しいものだ、今日の万葉集はすべてこれを底本ていほんにしているが、普通には千蔭ちかげ略解本りゃくげぼんが用いられている、よほど好書家でないとこれを持っていない」
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
祖父の母は歌人うたよみで、千町ちまちといったというのだが、千町とは聴きあやまりであったのか、千蔭ちかげの門人にその名はないという。祖父も手跡はよく、近所の町の祭礼の大幟おおのぼりなど頼まれて書いた。