千早ちはや)” の例文
軽視の風がある楠木正成くすのきまさしげも、赤坂から千早ちはやへの築城を完了し、金剛山一帯は、今やひとつの連鎖れんさ陣地をなして来たともつたえている。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
網代人は網代の番をする人。千早ちはや人はうじに続き、同音の宇治うじに続く枕詞である。皆、旅中感銘したことを作っているのである。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
千早ちはやの方へつづいている雑木林を分けて、右衛門一人だけを供につれて、桂子は歩いて行った。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
かねみさきを過ぎても「千早ちはや振る金の御崎みさきを過ぐれどもわれは忘れずしがのすめ神」
源氏物語:22 玉鬘 (新字新仮名) / 紫式部(著)
ただその中で一つ、帆村の注意を惹いたのは、「千早ちはや館」という文字だった。
千早館の迷路 (新字新仮名) / 海野十三(著)
しかもその一人が、日本能楽の始祖の母だったという一構想に立ちうれば、私の文学的想像の野も、千早ちはや金剛こんごう、湊川だけのものではなくなって来る。
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
千早ちはやは落ちたか、あら悲しや」
弓道中祖伝 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
やがてこの地方の千早ちはや、金剛山から洛中洛外も戦火となって、大乱の険悪さが、ついには閑人の閑居もここにゆるさない日となってからではあるまいか。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
正成がみかどのめしにこたえて、みずからここのたちも焼きすてて千早ちはやの上にたてこもったときは、もうこの桜も枯死したかと惜しまれたが、年々歳々、春が来れば
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
千早ちはや金剛山こんごうせんは云わずもがなである。この辺はどんな小山も窪地くぼちも、さくとりででないところはない。
日本名婦伝:大楠公夫人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
茅屋ちがや”の名が古く、千剣破ちはやは当時の宛字あてじである。後々まで“千早ちはや”がひろく通っている。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
中腹の千早ちはや、赤坂などより、ずっと下だが、もう山裾の一端にはかかっている。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
けれど生まれたのは、千早ちはや籠城の食べ物もない中だった。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)