内匠たくみ)” の例文
内匠たくみ。——まとの生き物には、水でも与えておけ。鉄砲の直るまで、小者三名ほど、見張につけておくことも、いうまでもないぞ」
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「私は加世かよと申します。肥前島原の高力左近太夫かうりきさこんだいふ樣御家中、志賀玄蕃げんば、同苗内匠たくみの母でございます。これは次男内匠の嫁、關と申します」
そこには留守年寄の靱負之助をはじめ、成田康長、正木丹波、舟橋内匠たくみ、新田常陸介ひたちのすけ、成田次家などの旗がしら以下、番がしら格の者たち三十余人が集っていた。
日本婦道記:笄堀 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
さて淨書して之房の道柏、利安の卜庵に被見ひけんを請うたのが、寛永三年十一月十二日である。道柏、卜庵はすぐに奥書をして、小林内匠たくみ衣笠きぬがさ卜齋、岡善左衛門の三人に披露を頼んだ。
栗山大膳 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
石川内匠たくみ、石田典膳、古市喜左衛門、山辺勇助、中川蔵人、大森弾正、齋藤一八、雨森静馬、六郷六太郎、榎本金八郎、大河原八左衛門、辻五郎、秋山七左衛門、警衛として付いて行く。
首頂戴 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
毛利内匠たくみ、山田市之丞、交野十郎の率いた八百の長軍、伊知地正治、野津七左衛門の率いた薩軍が主力で、それに屋張、越前、芸州等、勤王諸藩の兵が加わって一万足らずであったであろう。
鳥羽伏見の戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
この御巡幸の諸準備には、本県より出張した書記官や御用掛りの見分がある上に、御厩おうまや課、内匠たくみ課の人々も追い追い到着して、御道筋警衛の任に当たる警部や巡査の往来も日に日に多くなった。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「私は加世かよと申します。肥前ひぜん島原の高力左近太夫こうりきさこんだゆう様御家中、志賀玄蕃しがげんば、同苗内匠たくみの母でございます。これは次男内匠の嫁、関と申します」
嫁君は、芳紀ほうき十四、国色無双な佳人とは聞えているが、ほんとは信長の生みの子ではなく、家臣遠山内匠たくみの室から養女としたものだった。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
吉田右馬太夫、長濱九郎右衞門、比惠の原には野村市右衞門、明石四郎兵衞、黒田總兵衞、齋藤甚右衞門、野村初右衞門、岩戸口には佐谷五郎太夫、松本能登のと、三瀬越には大塚權兵衞、小林内匠たくみ
栗山大膳 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
せがれ内匠たくみは、今となつて志賀家の一粒種、その命を助けたいばかりに、主家を退轉いたしました。それもみな無駄になりました」
と、蜂須賀はちすか彦右衛門、竹中久作、松原内匠たくみ、そのほか留守居の人々が、主人の帰城を迎えに出た。そして
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
新七と内匠たくみは、天蔵の背を突いたり、襟がみを持ったりして、庭の果てまで連れて行った。弓矢では、よほどな射手でもないと、矢の届かない程な距離であったが
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その日の夕刻、志賀内匠たくみの妻のお關は、今度はたつた一人で平次の家へ訪ねて來ました。
くつぬぎの藁草履わらぞうりをはいて、天蔵は庭へ出た。半之丞や内匠たくみも、彼について出た。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
猿によう似た男が御家中の杉坂内匠たくみ様をよう知っておって、内匠様のおことばで、猿はすぐ御放免となったが、彼の猿めが自分の身は、どうなとよろしゅうございますから、誰と誰とは、心が善だし
茶漬三略 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
『乱心者じゃっ——内匠たくみがっ……』
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
小幡郷おばたごうの住人松原内匠たくみ
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)