六経りくけい)” の例文
およそ学問の道は、六経りくけいを治め聖人せいじんの道を身に行ふを主とする事は勿論もちろんなり。さてその六経を読みあきらめむとするには必ず其一言いちげん一句をもつまびらかに研究せざるべからず。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
なるかなこの子、七書をして六経りくけいと光を争わしめんとすと。これ松陰が十一歳の頃、長門侯毛利慶親よしちかの前に、『武教全書』を進講したるに際し、侯が嘆賞せし語にあらずや。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
六経りくけいは我が心の註脚ちゅうきゃくなりというが如き高き見地を占めて、仔細に古来の思想に注意し、批評し、改定せなければならぬ。これは我輩の常に機会あるごとに、諸所の学校に於て学生等に語るところなのだ。
現代の婦人に告ぐ (新字新仮名) / 大隈重信(著)
ただ修養のまったからんことを欲するには、考証をくことは出来ぬと信じている。何故なにゆえというに、修養には六経りくけいを窮めなくてはならない。これを窮むるには必ず考証につことがあるというのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)