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伊達家
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だてけ
ふりがな文庫
“
伊達家
(
だてけ
)” の例文
それに就いて思い起すことは、永徳ももとより結構に相違ないが——
伊達家
(
だてけ
)
には、まだ一つ、天下に掛替えのない筆蹟があるはずじゃ、それを御承知か
大菩薩峠:34 白雲の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
すわ、なにかことこそはじまったぞ! とそれへ
加
(
くわ
)
えて、
上杉家
(
うえすぎけ
)
、
北条家
(
ほうじょうけ
)
、
前田家
(
まえだけ
)
、
伊達家
(
だてけ
)
、そのほかの
溜
(
たま
)
り
場
(
ば
)
からも
数知
(
かずし
)
れない
剣士
(
けんし
)
たちがかけあつまってくる。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
万治の頃、
伊達家
(
だてけ
)
が更に深く掘り下げて舟を通すようになったので、仙台堀とも云っている、この切堀の
断崖
(
だんがい
)
は、東京の高台の地層を観察するのに都合がよかった。
河明り
(新字新仮名)
/
岡本かの子
(著)
幹太郎の生国は
陸前
(
りくぜん
)
のくに
桃生郡
(
ものうごおり
)
で、
伊達家
(
だてけ
)
の領分に属してるのが好都合であった。
花も刀も
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
本木の方が
尤物
(
ゆうぶつ
)
中の尤物たること
勿論
(
もちろん
)
なり、それを手に入れてこそ主命を果すに当るべけれ、
伊達家
(
だてけ
)
の伊達を増長
致
(
いた
)
させ、本木を譲り
候
(
そろ
)
ては、細川家の
流
(
ながれ
)
を
涜
(
けが
)
す事と相成り申すべくと申
候
(
そろ
)
。
興津弥五右衛門の遺書
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
▼ もっと見る
押分々々
(
おしわけ/\
)
車坂下の四ツ
辻
(
つじ
)
まで逃來りしが今此處は火先にて四方より
落合
(
おちあふ
)
人々押合々々
勿々
(
なか/\
)
通りぬける事能はず殊に上野近邊の出火ゆゑ其頃上野の御
消防
(
ふせぎ
)
は松平陸奧守殿(
伊達家
(
だてけ
)
)にて太守も出馬有しかば持口々々を
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
蒲生家
(
がもうけ
)
からも、
伊達家
(
だてけ
)
からも、
抱
(
かか
)
えに来たけれど、侍奉公は、二人の主人にするものじゃない。
宮本武蔵:06 空の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
心貫流
(
しんかんりゅう
)
丸目文之進
(
まるめぶんのしん
)
(
伊達家
(
だてけ
)
)
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“伊達家(伊達氏)”の解説
伊達氏(だてし/いだてし)は、武家・華族だった日本の氏族。鎌倉時代に朝宗が陸奥国伊達郡を与えられて伊達と称したのに始まる。陸奥の有力豪族となり、戦国時代には戦国大名と化し、政宗の代に陸奥の南半分を征服したが、豊臣秀吉の天下統一で領国を削減された。江戸時代には宗家が仙台藩藩主家、政宗の庶長子・秀宗の家系が宇和島藩藩主家となり、明治維新後には侯爵に叙された宇和島伊達家を筆頭に7家が華族に列した(侯爵家1家、伯爵家1家、子爵家1家、男爵家4家)。
(出典:Wikipedia)
伊
漢検準1級
部首:⼈
6画
達
常用漢字
小4
部首:⾡
12画
家
常用漢字
小2
部首:⼧
10画
“伊達家”で始まる語句
伊達家文書
伊達家諸士