五島ごとう)” の例文
中にも五島ごとう清太郎博士、藤井健次郎博士は、陰になり日向ひなたになって、私を庇護して下さったので、私は衷心から感謝している。
私はまた五島ごとう平土ひらどの船頭衆から長崎や島原の歌も聞いた。年の師走には市が立つてそれらの珍客を載せた大船はいつも四十艘五十艘と港入りした。
思ひ出:抒情小曲集 (旧字旧仮名) / 北原白秋(著)
伊豆の島には対馬つしま五島ごとうなどのように、鹿は住んでいなかったから是だけは無理な附け方であるかも知れぬ。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
例えば宇和島うわじま藩、五島ごとう藩、佐賀さが藩、水戸みと藩などの人々が来て、あるい出島でじま和蘭オランダ屋敷にいって見たいとか、或は大砲をるから図を見せてれとか、そんな世話をするのが山本家の仕事で
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
九州でも筑後の久留米くるめ、肥前五島ごとう久賀ひさか島でそういい、さらに東北では仙台から石の巻に及び、秋田県の横手もキンズンソウというから、もとは中央の名であったかも知れない。
ヒゲノノというのは日返ひがえり布、すなわち一日のうちに織って縫って着せて、流してしまうからそういうのかもしれぬが、壱岐いきから遠くない五島ごとうの島々が、日返ひがえはたというのなどは
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
それによってつじめし(美濃みの)、門飯かどめし五島ごとう)、かどまま(紀州)などの名があり、またたいていは中元ちゅうげんの行事であったゆえ、全国を通じて盆かまど・ボンクド・盆飯・盆粥という例が多いのである。
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
中世の文学に幾たびか取上げられた美々良久みみらくの島、亡くなった人にうことができるという言い伝えのあるその島は、はたして遣唐使が船を寄せたという肥前ひぜん五島ごとう三井楽みいらくの崎と同じであったか
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
晴と褻との対立は、衣服においては殊に顕著であったように考えられている。晴衣はれぎという語は標準語中にもなお存し、褻衣けぎという語も対馬つしま五島ごとう天草あまくさなど、九州の島々には方言として行われている。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)