乾隆けんりゅう)” の例文
大体において支那は乾隆けんりゅうの頃、西洋との交通やその文化も盛んであったのでその頃のガラス絵が一番美しいという事になっています。
楢重雑筆 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
しん乾隆けんりゅう二十六年のことである。虎邙こきゅうに乞食があって一頭の狗熊くゆうを養っていた。熊の大きさは川馬せんばのごとくで、のような毛が森立している。
お柳が出て行って暫くすると、甲谷は間もなく主人の部屋の楼上ローシャンへ呼び出された。彼は階段を昇っていった。彼を包む廊下の壁には、乾隆けんりゅう献寿けんじゅ模様が象眼ぞうがんの中から浮き出ていた。
上海 (新字新仮名) / 横光利一(著)
しかるに廟諡びょうしを得たもうこと無く、正徳しょうとく万暦ばんれき崇禎すうていの間、事しば/\議せられて、しかついに行われず、みん亡び、しん起りて、乾隆けんりゅう元年に至って、はじめて恭憫恵きょうびんけい皇帝というおくりなを得たまえり。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
しん朝もその国初の康煕こうき雍正ようせい乾隆けんりゅうの百三十余年間はめざましい文運隆昌の時代で、嘉慶かけいに至って漸く衰えはじめました。
紀昀は号を暁嵐ぎょうらんといい、乾隆けんりゅう時代の進士しんしで、協弁大学士に進み、官選の四庫全書を作る時には編集総裁に挙げられ、学者として、詩人として知られて居ります。
この作者はしん袁枚えんばいで、あざな子才しさいといい、号を簡斎かんさいといいまして、銭塘せんとうの人、乾隆けんりゅう年間の進士しんしで、各地方の知県をつとめて評判のよかった人でありますが、年四十にして官途を辞し
前清ぜんしん乾隆けんりゅう年間のことだそうだ。広東カントンの三水県の県署のまえに劇場がある。そこである日、包孝粛ほうこうしゅくの芝居を上演した。包孝粛は宋時代の名判官はんがんで、日本でいえば大岡さまというところだ。
女侠伝 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)