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しゅっ
谷氏の史に、建文帝、生れて十年にして
懿文卒すとあるは、
蓋し
脱字にして、父君に別れ、
儲位に立ちたまえる時は、
正しく十六歳におわしける。
続いて霊公の子・太子
蒯聵も義母南子を
刺そうとして失敗し晋に
奔る。太子欠位の中に霊公が
卒する。やむをえず亡命太子の子の幼い
輒を立てて後を
嗣がせる。
出公がこれである。
麦畑や、地蔵や、眼と口を
一緒にあけた女の顔や、人の声や、
眼まぐろしく
駈けて来ては
後へ飛ぶ。機関の響は心臓の
乱拍子、車は一の
砲弾の如く
飄、
倏と
唸って飛ぶ。