“呉(ご)” の例文
「これは売り買いではなく、わたしからお餞別(せんべつ)に差し上げるのです。呉(ご)の地方へお持ちになると、きっと良い御商法になりましょう」
呉(ご)の孫策(そんさく)は、すでに、曹操との軍事経済同盟の約束によって、大江をわたり、南のほうから進撃の途中にあったが、曹操の書簡を手にして
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と申しますのは、昭公は呉(ご)から妃(きさき)を迎えられ、その方がご自分と同性なために、ごまかして呉孟子(ごもうし)と呼んでおられるのです。
現代訳論語 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
楚が呉(ご)を伐(う)った時、工尹商陽(こういんしょうよう)という者が呉の師を追うたが、同乗の王子棄疾(きしつ)に「王事なり。子、弓を手にして可なり。」といわれて始めて弓を執り
弟子 (新字新仮名) / 中島敦(著)
されば事に任ずる者、口に藉(し)くことを得て、殿下文臣を誅(ちゅう)することを仮りて実は漢の呉(ご)王の七国に倡(とな)えて晁錯(ちょうさく)を誅せんとしゝに効(なら)わんと欲したもうと申す。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
しかも当時はこの国が、まだ生まれたばかりだったのです。支那の哲人たちは道のほかにも、呉(ご)の国の絹だの秦(しん)の国の玉だの、いろいろな物を持って来ました。
神神の微笑 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
ゆえに日本人の遠い昔の故郷を、かのあたりに見出そうとする学者さえあったので、呉(ご)の泰伯の子孫という類の新説は、論拠がなくても起こりやすい空想であった。
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
もし漢青年が今日(こんにち)のように切迫(せっぱく)した時局を知ったなら、彼は立(た)ち処(どころ)に故山(こざん)に帰り、揚子江(ようすこう)と銭塘口(せんとうこう)との下流一帯を糾合(きゅうごう)して、一千年前の呉(ご)の王国を興したことだろう。
西湖の屍人 (新字新仮名) / 海野十三(著)
そのうちに上元(じょうげん)の節となった。母方の従兄弟(いとこ)に呉(ご)という者があって、それが迎いに来たので一緒に遊びに出て、村はずれまでいった時、呉の家の僕(げなん)が呉を呼びに来て伴(つ)れていった。
嬰寧 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
孔子(こうし)、古(いにしへ)の仁聖(じんせい)賢人(けんじん)を(一七)序列(じよれつ)する、呉(ご)の太伯(たいはく)・伯夷(はくい)の倫(ともがら)の如(ごと)きも詳(つまびらか)なり。余(よ)の聞(き)く所(ところ)を以(もつ)てすれば、(一八)由光(いうくわう)の義(ぎ)至(いた)つて高(たか)し。(一九)其文辭(そのぶんじ)少(すこ)しも概見(がいけん)せざるは何(なん)ぞ哉(や)。
唐(たう)の開元年中(かいげんねんちう)、呉(ご)楚(そ)齊(せい)魯(ろ)の間(あひだ)、劫賊(こふぞく)あり。近頃(ちかごろ)は不景氣(ふけいき)だ、と徒黨(とたう)十餘輩(じふよはい)を語(かた)らうて盛唐縣(せいたうけん)の塚原(つかはら)に至(いた)り、數十(すうじふ)の塚(つか)を發(あば)きて金銀寶玉(きんぎんはうぎよく)を掠取(かすめと)る。塚(つか)の中(なか)に、時(とき)の人(ひと)の白茅冢(はくばうちよう)と呼(よ)ぶものあり。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
留む 之(これ)子生涯快心の事 呉(ご)を亡ぼすの罪を正して西施(せいし)を斬る
八犬伝談余 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
三国(さんごく)の呉(ご)の孫休(そんきゅう)のときに、一人の戍将(じゅしょう)が広陵(こうりょう)を守っていたが、城の修繕をするために付近の古い塚を掘りかえして石の板をあつめた。
黄河(こうが)の上流にあたり、渭水(いすい)の下流に位置し、旧(ふる)き呉(ご)や楚(そ)の国と隣りあい、遠くは斉(せい)と魯(ろ)の境につらなる水陸の要衝だった。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
明の律は太祖の武昌(ぶしょう)を平らげたる呉(ご)の元年に、李善長(りぜんちょう)等(ら)の考え設けたるを初(はじめ)とし、洪武六年より七年に亙(わた)りて劉惟謙(りゅういけん)等(ら)の議定するに及びて、所謂(いわゆる)大明律(たいみんりつ)成り
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
楚(そ)では王族の一人が病臥(びょうが)中の王の頸(くび)をしめて位を奪(うば)う。呉(ご)では足頸を斬取(きりと)られた罪人共が王を襲(おそ)い、晋では二人の臣が互(たが)いに妻を交換(こうかん)し合う。このような世の中であった。
弟子 (新字新仮名) / 中島敦(著)
然れどももし道楽以上の貼札(はりふだ)を貼らんとするものあらば、山陽(さんやう)の画(ゑ)を観せしむるに若(し)かず。日本外史(にほんぐわいし)は兎(と)も角(かく)も一部の歴史小説なり。画に至つては呉(ご)か越(ゑつ)か、畢(つひ)につくね芋(いも)の山水のみ。
続野人生計事 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
呉(ご)の孫權(そんけん)、或時(あるとき)、曹(さう)再興(さいこう)をして屏風(びやうぶ)に畫(ゑが)かしむ、畫伯(ぐわはく)筆(ふで)を取(と)つて誤(あやま)つて落(おと)して素(しろ)きに點(てん)打(う)つ。因(よ)つてごまかして、蠅(はへ)となす、孫權(そんけん)其(そ)の眞(しん)なることを疑(うたが)うて手(て)を以(もつ)て彈(はじ)いて姫(き)を顧(かへり)みて笑(わら)ふといへり。
聞きたるまゝ (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
宣城(せんじょう)郡、当塗(とうと)の民に劉成(りゅうせい)、李暉(りき)の二人があった。かれらは大きい船に魚や蟹(かに)のたぐいを積んで、呉(ご)や越(えつ)の地方へ売りに出ていた。
呉(ご)学究との旧交を打明け、また宋江の身の上話もいろいろ求め、十年の交じわりのような想いをあたためた。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
其の分封太侈(たいし)を論ずるに曰(いわ)く、都城百雉(ひゃくち)を過ぐるは国の害なりとは、伝(でん)の文にも見えたるを、国家今や秦(しん)晋(しん)燕(えん)斉(せい)梁(りょう)楚(そ)呉(ご)閩(びん)の諸国、各其(その)地(ち)を尽して之(これ)を封じたまい、諸王の都城宮室の制、広狭大小
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
処へ、名にし負う道学者と来て、天下この位信用すべき媒妁人(なこうど)は少いから、呉(ご)も越(えつ)も隔てなく口を利いて巧(うま)く纏(まと)める。従うて諸家の閨門(けいもん)に出入すること頻繁にして時々厭らしい! と云う風説(うわさ)を聞く。
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
饒(じょう)州に呉(ご)という男があった。家は豊かで、その妻の実家も富んでいて、夫婦の仲もむつまじく、なんの欠けたところもなかった。
呉(ご)は蜀(しょく)と同盟して、魏の洛陽(らくよう)を衝(つ)かんとし、曹操の建業も一朝(いっちょう)の間(ま)かとあやぶまれていたような秋(とき)である。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
呉(ご)の末に、臨海の人が山に入って猟(かり)をしていた。彼は木間(このま)に粗末の小屋を作って、そこに寝泊まりしていると、ある夜ひとりの男がたずねて来た。
呉(ご)の客を送って、すぐに越(えつ)の船の入港日を税関の前の掲示板で見ながら、よく戦った白粉の女たちは、裾寒げに、ぞろぞろと、自分の巣へかえってゆくのだった。
かんかん虫は唄う (新字新仮名) / 吉川英治(著)
娘は生長して管営指揮使の妻となり、のちに呉(ご)の燕王(えんおう)の孫娘の乳母となって、百二十歳の寿を保った。
呉(ご)と越(えつ)と、仇(あだ)と敵(かたき)とが、こうして一つの釜(かま)の飯を食う、食うのが、間違っているか、宿命なのか。
無宿人国記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
呉(ご)の赤烏(せきう)三年、句章(こうしょう)の農夫楊度(ようたく)という者が余姚(よちょう)というところまで出てゆくと、途中で日が暮れた。
呉(ご)と越(えつ)と、二つの雄藩が、かなたの国では、両々覇(は)を争ッて、併呑(へいどん)をうかがい合い、倶(トモ)ニ天ヲ戴(イタダ)カズ、とまで争っていた。呉人越人、同邦ながらたがいに憎しみあっていた。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼は間もなくかの貴公子に別れ、清(せい)州へ行って呉(ご)という役人の家に足をとどめていると、ある日、ひとりの旅人が一匹の猴を連れて城内に入り込んだという報告があった。
……北斗(ほくと)の星、呉(ご)と楚(そ)の地を照らし、その色赤し、おそらく謀反(むほん)の徒(と)のおこる兆(きざ)しならんかと
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
呉(ご)郡の顧旃(こせん)が猟(かり)に出て、一つの高い岡にのぼると、どこかで突然に人の声がきこえた。
赤壁(せきへき)の江上戦に、魏(ぎ)の精猛(せいもう)を率(ひき)いる曹操(そうそう)が、完敗を喫したのも、当初、彼の軍隊の兵は多く北国産の山沢(さんたく)に飛躍したものであり、それに反して、江南の国呉(ご)の兵士は、大江の水に馴れ
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
呉(ご)の将、朱桓(しゅかん)という将軍がひとりの下婢(かひ)を置いたが、その女は夜中に睡(ねむ)ると首がぬけ出して、あるいは狗竇(いぬくぐり)から、あるいは窓から出てゆく。その飛ぶときは耳をもって翼(つばさ)とするらしい。
孔明(こうめい)の家、諸葛氏(しょかつし)の子弟や一族は、のちに三国の蜀(しょく)、呉(ご)、魏(ぎ)——それぞれの国にわかれて、おのおの重要な地位をしめ、また時代の一方をうごかしている関係上、ここでまず諸葛家の人々と
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
孫恩(そんおん)が乱を起したときに、呉興(ごこう)の地方は大いに乱れた。なんのためか、ひとりの男が蒋侯(しょうこう)の廟(びょう)に突入した。蒋子文(しょうしぶん)は広陵(こうりょう)の人で、三国の呉(ご)の始めから、神としてここに祀られているのである。
呉(ご)の孫堅(そんけん)がひきうけて、汜水関(しすいかん)近くまで攻め上ってきた由にございます
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
呉(ご)という大将が兵を率いて晋安(しんあん)に攻め向うことになりました。呉は新しく鋳(い)らせた剣を持っていまして、それが甚だよく切れるのです。彼は出陣の節に、その剣をたずさえて梨山の廟に参詣しました。
呉(ご)は、大江(たいこう)の流れに沿うて、「江東の地」と称(うた)われている。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「では、呉(ご)の孫策(そんさく)は」
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一帆(ぱん)呉(ご)へ下(くだ)る
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
呉(ご)の情熱
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
呉(ご)の外交(がいこう)
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)