“所謂”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
いわゆる69.7%
いはゆる25.0%
いわゆ2.6%
いはゆ0.8%
いはれ0.7%
いわれ0.7%
いい0.1%
いふところの0.1%
いわば0.1%
しょせん0.1%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
はじめは彼もほかの下宿人と同じように賄(まかな)いをしてもらっていたが、所謂(いわゆる)ニコヨンの労働をするようになってからは自炊をしていた。
早春 (新字新仮名) / 小山清(著)
その時奥の戸が開いて、所謂(いはゆる)おつ母さんが現はれた。頬つぺたの赤い年増で、頭に頭巾を着てゐる。その外着物は随分不体裁である。
所謂(いわゆ)る遊侠の世界(即(すなわ)ち親分と称せられる人々から、破落戸(ごろつき)と称せられる人々)——あらゆる方面に知己があり友人があった。
名古屋の小酒井不木氏 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
そして二枚(まい)の大畫(たいぐわ)(今日(けふ)の所謂(いはゆ)る大作(たいさく))が並(なら)べて掲(かゝ)げてある前(まへ)は最(もつと)も見物人(けんぶつにん)が集(たか)つて居(ゐ)る二枚(まい)の大畫(たいぐわ)は言(い)はずとも志村(しむら)の作(さく)と自分(じぶん)の作(さく)。
画の悲み (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
其(その)所謂(いはれ)を聞(き)くと、子路(しろ)と云(い)ふ男(をとこ)は、一(ひと)つ何(なに)か教(をす)はつて、それをまだ行(おこな)はないうちに、又(また)新(あた)らしい事(こと)を聞(き)くと苦(く)にする程(ほど)正直(しやうぢき)だからだつて云(い)ふんです。
門 (旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
終生、いや千年の後までも、そのために、彼としては所謂(いわれ)のない、そして拭いようもない憎しみをこの国の人々から受けてしまうものとなった。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
壁とは目を障(さ)えぎり、視覚を覆うものの所謂(いい)である。それを透して見んとする意志がかぎりなく働く。不自由と、必然を透して自由を得んとする努力、そこに芸術のもつ執拗性がある。
壁 (新字新仮名) / 中井正一(著)
或は今後も、世間(せけん)所謂(いふところの)使用人の地位を脱しない限り、幾年の間休暇の無い生活を送るのでは無いかとさへ悲觀する事もある。そして、机にむかひつゝ海を想ひ山を想ふのである。
山を想ふ (旧字旧仮名) / 水上滝太郎(著)
之を明治の社会に応用致し候わば所謂(いわば)禍(わざわい)を未萌(みほう)に防ぐの功徳(くどく)にも相成り平素逸楽(いつらく)を擅(ほしいまま)に致し候(そろ)御恩返も相立ち可申(もうすべく)と存候(ぞんじそろ)……
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
論理は、所謂(しょせん)、論理への愛である。生きている人間への愛では無い。
斜陽 (新字新仮名) / 太宰治(著)