さかさ)” の例文
或る者は長靴を脱いでさかさまにして、一杯たまった砂や泥水を吐かせたり、沓下くつしたを脱いで白くふやけた自分の足をつめたりしている。
細雪:02 中巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
女等をんならみな少時しばし休憩時間きうけいじかんにもあせぬぐふにはかさをとつて地上ちじやうく。ひとつにはひもよごれるのをいとうて屹度きつとさかさにしてうらせるのである。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
口のけてある瓶は、いでしまふ度にせんをして、さかさに閾に寄せ掛けて置くのである。八は妙な事をするものだと思つて見てゐる。
金貨 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
さかさまにしろ、うしたら賞めてる、そんな馬鹿な殺伐な事をする奴があるものか、面白くもないといって、打毀うちこわした事を覚えて居ます。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
大声嘈々驟雨ゆうだちの井をさかさにするごとく、小声切々時雨しぐれの落葉を打つがごとく、とうとう一の小河を成して現存すとは、天晴あっぱれな吹きぶりじゃ。
「騒がないで、じっとしていさえすれば、何事もありません。動くと申して、別にさかさに立って、裏返しになるというんじゃないのですから、」
草迷宮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
一しきり渡場へ急ぐ人の往来ゆききも今ではほとんど絶え、橋の下に夜泊よどまりする荷船の燈火ともしび慶養寺けいようじの高い木立をさかさに映した山谷堀さんやぼりの水に美しく流れた。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
またこれらの家族やからありて、その民榮えかつ正しかりければ、百合は未ださかさに竿に着けられしことなく 一五一—一五三
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
炉辺に投げ出してある夫の財布をさかさまにして見たが、出て来たのは紙屑のもみくしゃになったものばかりだった。
おびとき (新字新仮名) / 犬田卯(著)
切手を故意にさかさまにるのは敵意をあらわすとか、すこし横に貼るのは恋を意味するとか、そんなことを言出す。
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
一つの面白い、しかも極めて簡単な実験は、頭をさかさにして股間こかんから見馴れた平凡な景色をのぞいて見る事である。
四月十六日は彼にとって喜ばしい一日であった。嬉しいあまりに、大将の演説終って喜捨金集めの帽が廻った時、彼は思わず乏しい財布をさかさにして了うた。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
私はさかさまに頁をはぐりながら、私に必要な知識を容易に与えてくれないこの長い手紙を自烈じれったそうに畳んだ。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
吾々われわれは「扇をさかさにした形」だとか「摺鉢すりばちを伏せたような形」だとかあまり富士の形ばかりを見過ぎている。
路上 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
驚ろき呆れて、半ば疑ひながらも、母の言ひたるところに、走り行きて見れば、こはいかに、無残や一人の弟はさかさまに、墓の門なる石桶にうち沈められてあり。
鬼心非鬼心:(実聞) (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
或日、彼はそんなものの常設されている所へ遊びに行って、紫色のシャツを着たローズアが、ただひとり一本縄にさかさにぶらさがって、喇叭らっぱを吹いているのを見た。
あめんちあ (新字新仮名) / 富ノ沢麟太郎(著)
四月二十五日と前の日に続けて書いて、ふと思いついて鉛筆をさかさにして、ゴムでゴシゴシ消した。今日は少なくとも一生のうちで新しい生活にはいる記念の第一日である。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
「なるほど、そうなりますと、いよいよいにしえのことわざにあるが如く、民に倒懸の苦ありということになりますな、農民はさかさにブラ下がっているより仕方がないというわけですな」
大菩薩峠:38 農奴の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
女房が帰つて下さるかといふと「善太坊が泣いて留るのだ、仕方がねえ、負けてやらう」と立上り、手拭を肩にかけ、自分で前の床几をさかさにして後の床几に重ね、店の側に片寄す。
二人はしゃがんで籠をさかさにして数を数えてから小さいのはみんなまた籠にもどしました。
二人の役人 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
祖父は羽織の裾を突風に翻して虎のやうに上体をのめらせながらこゝを先途と疾走したが、忽ち傍らの泥田の中へ真つさかさまに転落して、全身泥まみれと化し腰に大きな打撲傷を享けた。
このさかさになっている社会をうらまなくてはならない事を云ってもらうことにした。
党生活者 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
このあとで僕の写真を見せたら、一体君の顔は三角定規さんかくじょうぎさかさにしたような顔だのに、こう髪の毛を長くしちゃ、いよいよエステティッシュな趣を損うよ。と、入らざる忠告を聞かされた。
田端日記 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
さかさまに落すが如し衣袂いべい皆なうるほひてそゞろさぶきを覺ゆれば見分けんぶん確かに相濟んだと車夫の手を拂ひて車に乘ればまたガタ/\とすさまじき崖道がけみちを押し上り押しくだし夜の十時過ぎ須原すはら宿やどりへ着き車夫を
木曽道中記 (旧字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
霞にこもッて限りもなく遠そうだ、近いところの木は梢を水鏡に写して、さかさに水底から生えているが、その水の青さ、いかにも深そうだ,まきを積み上げた船やいかだが湖上をあちこちと往来しているが
初恋 (新字新仮名) / 矢崎嵯峨の舎(著)
なぜつて、字がさかさまになつてるから、活版やに直せといふしるしだよ。
黄金機会 (新字旧仮名) / 若松賤子(著)
「早くからださかさにして、松葉の煙でいぶすが可い。」
少年の死 (旧字旧仮名) / 木下杢太郎(著)
一しきり渡場わたしばへ急ぐ人の往来ゆきゝも今ではほとんど絶え、橋の下に夜泊よどまりする荷船にぶね燈火ともしび慶養寺けいやうじの高い木立こだちさかさに映した山谷堀さんやぼりの水に美しく流れた。
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
かつて黒田伯清隆きよたかに謁した時、座に少女があって、やや久しく優の顔を見ていたが、「あの小父おじさんの顔はさかさに附いています」
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
さかさ見たのがわしのくされでがす、それから貰子をしましてね、廿五まで育てゝうつちやられつちめえました、思ひ出すと忌々しいことでがすが
教師 (旧字旧仮名) / 長塚節(著)
トタンに、つるりとかいなすべって、獅子は、さかさにトンと返って、ぶるぶると身体からだをふったが、けろりとして突立つッたった。
春昼後刻 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
今までざわざわと動いていた私の胸が一度に凝結ぎょうけつしたように感じた。私はまた逆に頁をはぐり返した。そうして一枚に一句ぐらいずつの割でさかさに読んで行った。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ペテロもまた、はずみを食って転落した——しかし彼は頭部をさかさにして、足をもって綱にぶらさがった。
あめんちあ (新字新仮名) / 富ノ沢麟太郎(著)
眼の下あたりにくぼみがあつたり、頬の骨が飛び出てゐたりするけれども、リヽーの顔は丈が短かく詰まつてゐて、ちやうどはまぐりさかさまにした形の、カツキリとした輪郭の中に
猫と庄造と二人のをんな (新字旧仮名) / 谷崎潤一郎(著)
猫をさかさにつるして高い処から落せば空中でくるりと身をかわしてうまく四つ足で立つ。
猫六題 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
まして油屋の方など身代をさかさまにふったとて追っつくものではなかった。
(新字新仮名) / 犬田卯(著)
彼は徳利をさかさにして、細君の顔を見返つた。
熱海へ (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
面の細い奴が被ると、椎の実をさかさにしたやうで、面の大きい奴が被ると、橡栗どんぐりを倒にしたやうだ。己は断じてあんな皿を頭にはのつけないのだ。
田楽豆腐 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
喬木けうぼくさへぎつてこずゑあをそらせてにはへすら疾風しつぷうおどろくべき周到しうたうふくろくちいてさかさにしたやうにほこり滿ちてさら/\としづんだ。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
お照は二合壜をさかさにして盃につぎ、「何時でしょう。わたしもうそろそろおいとましなくちゃならないわ。二、三日うちに行くところがきまったら知らせるわ。」
雪解 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
この屋根の上にあしが生えて、台所の煙出けむだしが、水面へあらわれると、芥溜ごみためのごみがよどんで、泡立つ中へ、この黒髪がさかさに、たぶさからからまっていようも知れぬ。
悪獣篇 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
眼の下あたりにくぼみがあったり、頬の骨が飛び出ていたりするけれども、リリーの顔は丈が短かく詰まっていて、ちょうどはまぐりさかさまにした形の、カッキリとした輪郭の中に
猫と庄造と二人のおんな (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
それが明日あすからといふかれそののこつた煙草たばこほとんど一にちつゞけた。煙草入たばこいれかますさかさにして爪先つまさきでぱた/\とはじいてすこしのでさへあまさなかつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
ものの十丈もあろうと見えて、あたかもこの蒼沼にさっ萌黄もえぎ窓帷カアテンを掛けて、さかさすそを開いたような、沼の名は、あるいはこれあるがためかとも思われた。
沼夫人 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
貞之助は食塩の容器をさかさにして、味の素を混和したサラサラに乾いた粉末を、まだ肉が生きて動いている車海老の上へ振りかけると、庖丁の目のところから一と切れ取って口に入れた。
細雪:02 中巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
姿が華奢きゃしゃだと、女一人くらいは影法師にしてさかさに吸込みそうな提灯のおおきさだから、一寸ちょっと皆声をんだ。
遺稿:02 遺稿 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「あ、」と離すと、爪を袖口そでぐちすがりながら、胸毛むなげさかさ仰向あおむきかゝつた、鸚鵡の翼に、垂々たらたら鮮血からくれない
印度更紗 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
「あ、」とはなすと、つめ袖口そでくちすがりながら、胸毛むなげさかさ仰向あをむきかゝつた、鸚鵡あうむつばさに、垂々たら/\鮮血からくれなゐ
印度更紗 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
透かさぬ早業はやわざさかさに、地には着かぬ、が、無慚むざんな老体、蹌踉よろよろとなって倒れる背を、側の向うの電信柱にはたとつける、と摺抜すりぬけに支えもあえず、ぼったら焼のなべを敷いた
白金之絵図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「……姫松ひめまつどのはエ」と、大宅太郎光国おおやのたろうみつくにの恋女房が、滝夜叉姫たきやしゃひめ山寨さんさいに捕えられて、小賊しょうぞくどもの手に松葉燻まつばいぶしとなるところ——樹の枝へ釣上げられ、後手うしろでひじそらに、反返そりかえる髪をさかさに落して
国貞えがく (新字新仮名) / 泉鏡花(著)