“鏑(鏑矢)”の解説
鏑矢(かぶらや、希に蕪矢とも書く)は、矢の先端付近の鏃の根元に位置するように鏑(後述)が取り付けられた矢のこと。射放つと音響が生ずることから戦場における合図として合戦開始等の通知に用いられた。
古くはユーラシア大陸では、中国の戦国時代の中原にて、荘子在宥篇に「嚆矢」の故事成語を成した話が記されている。また、北アジアの草原地帯にて遊牧国家の匈奴を大帝国に発展させた冒頓単于が、親衛隊に冒頓の射る鏑矢の向けられた先を一斉に射るよう厳命して訓練をほどこしクーデターに成功した逸話が、前漢期に匈奴と全面戦争を永年にわたって展開した武帝の時代に編纂された史記に語られる。
日本列島では鎌倉時代には既に記述が見られる(保元物語)が、初期の頃は名称も定まっておらず起源、いつ頃から使われていたのかは解っていない。
(出典:Wikipedia)
古くはユーラシア大陸では、中国の戦国時代の中原にて、荘子在宥篇に「嚆矢」の故事成語を成した話が記されている。また、北アジアの草原地帯にて遊牧国家の匈奴を大帝国に発展させた冒頓単于が、親衛隊に冒頓の射る鏑矢の向けられた先を一斉に射るよう厳命して訓練をほどこしクーデターに成功した逸話が、前漢期に匈奴と全面戦争を永年にわたって展開した武帝の時代に編纂された史記に語られる。
日本列島では鎌倉時代には既に記述が見られる(保元物語)が、初期の頃は名称も定まっておらず起源、いつ頃から使われていたのかは解っていない。
(出典:Wikipedia)