野狐禅やこぜん)” の例文
旧字:野狐禪
猛獣の性慾が壮観であるなぞといふ薄つぺらな逆説をもてあそびもつて肉体の醜が救はれたかの野狐禅やこぜん的悟りに続々ととらはれてゐる。
枯淡の風格を排す (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
一度ありたりとて自らすでに大悟徹底したるが如く思はば、野狐禅やこぜんちて五百生ごひゃくしょうの間輪廻りんねを免れざるべし。こころざしだいにすべき事なり。
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
野狐禅やこぜん的に悟り顔をすることで、自ら得意としているのだからたまらない、畢竟ひっきょう彼等は、自然主義の精神をきちがえているのである。
詩の原理 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
これをなまのまま人に理解を押し付けるといわゆる「野狐禅やこぜん」とか「生悟なまさとり」とかいうものになりまして、却って仏教が世間からそしりを招く基になるのであります。
仏教人生読本 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
その後今の向島むこうじま梵雲庵ぼんうんあんへ移って「隻手高声」という額を掲げて、また坐禅三昧ざんまいに日を送っていたのでした。けれども真実の禅ではなく、野狐禅やこぜんでもありましたろうか。
我が宗教観 (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
今のような世の中に、おのれ独り高く取り澄し、身一つの仏果のみ考えて、世俗をいとうかのように、山野の無事をぬすんでおるなどという生き方こそ、憎い野狐禅やこぜんではある。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
利休は禅を習ったというが、名利を求めることを決して忘れなかった。洗ってみれば結局野狐禅やこぜんに過ぎなくはなかったか。そういう利休のような人間に、なりたくないというのが、私の考えである。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
大概たいがい野狐禅やこぜんでは傍へ寄り付けません。大衆は威圧いあつされて思わずたじたじとなります。
鯉魚 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)