“軒寺町”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
けんでらまち66.7%
けんてらまち33.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
有難涙に暮れて居りましたが、角右衞門は七月二日つい歿みまかり、戒名は一庵了心信士あんりょうしんしんしと申し、只今に八軒寺町けんでらまち東陽寺とうようじという寺に石碑が残って居ります。
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
それからすぐ本所ほんじよを出て吾妻橋あづまばしを渡つて、森下もりしたつてさがすと、いまの八軒寺町けんでらまち曹洞宗さうどうしう東陽寺とうやうじといふてらがあつた。門の所で車からりてズツと這入はいると、玄関げんくわん襖紙からかみまるに十のしるしいてゐる。
塩原多助旅日記 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
今に浅草あさくさ軒寺町けんてらまち東陽寺とうようじという寺の墓場に鹽原多助の石碑がありますが、其の石碑に実父鹽原角右衞門かくえもん、養父も鹽原角右衞門と法名が二つございますが
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)