越智おち)” の例文
伊予で有名な越智おち氏の根拠地は、最初どこであったか私は知らぬが、現在もこれから土佐へかけて幾つとなくオチという地名がある。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
その頃、筑前志士の先輩に、越智おち彦四郎、武部小四郎、今村百八郎、宮崎車之助くるまのすけ、武井忍助なぞいう血気盛んな諸豪傑が居た。
近世快人伝 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
わたくしの名は越智東風おちとうふうではありません、越智おちこちですと必ず断りますよ」「妙だね」と雲井くもいを腹の底までみ込む。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
……わかるでしょう? マキちゃんたら、いつもワニさんや越智おちさんやアシ君に払わせるの。いちどだって自分で払ったことないの。だから、あたし、行かないのよ
キャラコさん:01 社交室 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
それもまた容易に判らなかったのであるが、古い記録や故老の口碑をたずねて、南北朝の初め頃まではここに越智おち七郎左衛門という武士が住んでいたことを初めて発見した。
青蛙堂鬼談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
千種顕経あきつね、楠木正儀まさのり、和田、越智おち、神宮寺など、いずれも南軍の精鋭であらぬはない。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
討手うって追撃ついげきを受けて宮は自害し給い、神器のうち宝剣ほうけんと鏡とは取り返されたが、神璽しんじのみは南朝方の手に残ったので、楠氏越智おち氏の一族さらに宮の御子みこ二方ふたかたほうじて義兵を挙げ、伊勢いせから紀井きい
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
砲台のある上総かずさ富津ふつ、『延喜式神名帳じんみょうちょう』及び『三代実録』天安二年十月の条に見えている伊予越智おち郡の布都ふつ神社の布都などもおそらくは右のフトであろう。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
と、感にたえたような声をあげたのが、越智おち氏である。
キャラコさん:01 社交室 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
たとえば越智おち郡では鳥生とりうの土居構には鳥生氏住し、野間郡池原の土居構には池原氏おり、温泉おんせん郡桑原の土居構には桑原氏おり、同じく松末まつすえの土居構には松末氏住みて、一にまた松末館とも書いてある。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
同 越智おち
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)