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西涼
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せいりょう
ふりがな文庫
“
西涼
(
せいりょう
)” の例文
これなん先頃から洛陽郊外の
澠池
(
べんち
)
に兵馬を
駐
(
と
)
めたまま、何進が再三召し呼んでも動かなかった
惑星
(
わくせい
)
の人——
西涼
(
せいりょう
)
の
刺史
(
しし
)
董卓
(
とうたく
)
であった。
三国志:02 桃園の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「
西涼
(
せいりょう
)
の馬超が、
韓遂
(
かんすい
)
と共に、大軍を催して、叛旗をひるがえした。都の留守をうかがって、今や刻々、
許都
(
きょと
)
をさして進撃している……」
三国志:07 赤壁の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
地理的にみて、ほとんど、遠い異境の英雄とのみ思われていた
西涼
(
せいりょう
)
の馬超という名が、忽然とこの蜀にまで聞えてきたのは。
三国志:09 図南の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「——
西涼
(
せいりょう
)
の
太守
(
たいしゅ
)
馬騰
(
ばとう
)
様が、本国へお帰りになるとかで、おわかれの挨拶にと、お越しになりましたが」と、告げてきた。
三国志:05 臣道の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
わが蜀の馬超は、もと
西涼
(
せいりょう
)
の生れで、
胡夷
(
えびす
)
の間には、神威天将軍と
称
(
とな
)
えられ、今もって、盛んな声望があります。
三国志:10 出師の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
▼ もっと見る
かねて
董承
(
とうじょう
)
に一味して、義盟に名をつらねていた
西涼
(
せいりょう
)
の
太守
(
たいしゅ
)
馬騰
(
ばとう
)
も、玄徳が都を脱出してしまったので
三国志:05 臣道の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
しかも都の北には、
西涼
(
せいりょう
)
の憂いがあるし、東には
劉表
(
りゅうひょう
)
、西には
張繍
(
ちょうしゅう
)
、おのおの、
虎視眈々
(
こしたんたん
)
と、この曹操が脚を失って征途につかれるのをうかがっているところだ……
三国志:05 臣道の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
山陽
鉅鹿
(
きょろく
)
の人で
李典
(
りてん
)
、
字
(
あざな
)
は
曼成
(
まんせい
)
という者だの——徐州の
刺史
(
しし
)
陶謙
(
とうけん
)
だの——
西涼
(
せいりょう
)
の
太守
(
たいしゅ
)
馬騰
(
ばとう
)
だの、
北平
(
ほくへい
)
太守の
公孫瓚
(
こうそんさん
)
だの——北海の太守
孔融
(
こうゆう
)
なんどという大物が、おのおの何千
三国志:03 群星の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
西涼
(
せいりょう
)
(
甘粛省
(
かんしゅくしょう
)
・蘭州)の地にある
董卓
(
とうたく
)
は、前に黄巾賊の討伐の際、その司令官ぶりは至って
香
(
かんば
)
しくなく、乱後、朝廷から罪を問われるところだったが、内官の十常侍一派をたくみに買収したので
三国志:02 桃園の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
西涼
(
せいりょう
)
(
甘粛省
(
かんしゅくしょう
)
・蘭州)の地方におびただしい敗兵が流れこんだ。
三国志:03 群星の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
西涼
(
せいりょう
)
ふたたび
燃
(
も
)
ゆ
三国志:09 図南の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“西涼”の解説
西涼(せいりょう、400年11月 - 421年3月)は、五胡十六国時代に漢族の李暠によって建てられた王朝。首都は敦煌(405年から420年は酒泉)。
(出典:Wikipedia)
西
常用漢字
小2
部首:⾑
6画
涼
常用漢字
中学
部首:⽔
11画
“西涼”で始まる語句
西涼軍
西涼州
西涼府
西涼之太守