トップ
>
糜芳
>
びほう
ふりがな文庫
“
糜芳
(
びほう
)” の例文
関羽を輔佐する者としては文官に、
伊籍
(
いせき
)
、
糜竺
(
びじく
)
、
向朗
(
こうろう
)
、馬良などをとどめ、武将には、関平、周倉、
廖化
(
りょうか
)
、
糜芳
(
びほう
)
などをあとに残して行った。
三国志:09 図南の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
騎馬の
弓箭隊
(
きゅうせんたい
)
は、ことごとくそこで馬をおりていた。見れば、徐州没落のとき別れたきりの味方、
糜竺
(
びじく
)
、
糜芳
(
びほう
)
の兄弟が、そのなかに
交
(
ま
)
じっている。
三国志:06 孔明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
孫乾
(
そんけん
)
、
糜竺
(
びじく
)
、
糜芳
(
びほう
)
らを城内にのこし、自身は関羽、張飛の両翼を従えて今までの消極的な守勢から攻勢に転じ、俄然、
凸形
(
とつけい
)
に陣容をそなえ直した。
三国志:04 草莽の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ところへ……
糜芳
(
びほう
)
が満身
朱
(
あけ
)
にまみれて、追いついてきた。身に立っている矢も抜かず、玄徳の前に膝まずいて
三国志:07 赤壁の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
孫乾
(
そんけん
)
、
糜芳
(
びほう
)
なども、その中にいた。聞けば、汝南の城も支えきれなくなったので、玄徳の夫人や一族を守護して、これまで落ちのびてきたのであるという。
三国志:06 孔明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
▼ もっと見る
呉は
倶
(
とも
)
に天を
戴
(
いただ
)
かざるの仇敵だ。
朕
(
ちん
)
の義弟を討ったばかりでなく、朕の麾下を脱した傅士仁、
糜芳
(
びほう
)
、
潘璋
(
はんしょう
)
、馬忠らの徒がみな拠って棲息しておる国ではないか。
三国志:10 出師の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「二人には、これを」と孔明は、特に近く呼んで、
糜芳
(
びほう
)
へは
紅
(
くれない
)
の旗を与え、劉封には青い旗を渡した。
三国志:07 赤壁の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
糜芳
(
びほう
)
っ。さあ呉侯のもとへ行こう。いずくんぞ手を束ねて犬死せんやだ。さあ城を出よう!
三国志:10 出師の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
曹仁、曹洪らは、辛くも火中を脱したが、道に待っていた趙雲にはばまれて、さんざんに打ちのめされ、あわてて後へ戻ると、
劉封
(
りゅうほう
)
、
糜芳
(
びほう
)
が一軍をひきいて、前を立ちふさいだ。
三国志:07 赤壁の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
たまたまその退屈な財産家が、玄徳という風雲児の事業に興味をもち、そっと裏面から軍資金を貢いでやったのが
因
(
もと
)
で、いつか
糜竺
(
びじく
)
、
糜芳
(
びほう
)
の兄弟とも、玄徳の
帷幕
(
いばく
)
に加わってしまった。
三国志:10 出師の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
江陵方面の守備は、
糜芳
(
びほう
)
、
傅士仁
(
ふしじん
)
のふたりですが、ちと、如何と案じられます。
三国志:09 図南の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
そのほか、孫乾、
簡雍
(
かんよう
)
、
糜竺
(
びじく
)
、
糜芳
(
びほう
)
、劉封、
呉班
(
ごはん
)
、関平、周倉、
廖化
(
りょうか
)
、馬良、
馬謖
(
ばしょく
)
、
蒋琬
(
しょうえん
)
、伊籍——などの中堅以外には、新たに玄徳に協力し、或いは、戦後降参して、随身一味をちかった輩にて
三国志:09 図南の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
次に、
糜竺
(
びじく
)
、
糜芳
(
びほう
)
、
劉封
(
りゅうほう
)
の三名を呼び
三国志:08 望蜀の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“糜芳”の解説
糜 芳(び ほう、生没年不詳)は、中国後漢末期から三国時代の将軍、政治家。字は子方。徐州東海郡朐県(江蘇省連雲港市)の人。兄は糜竺。妹は糜夫人(劉備の夫人)。本来の姓は縻(または靡)と読まれるという。劉備に仕えた後、呉に仕えた。
オーストラリア国立大学の中国歴史学者のレイフ・ド・クレスピニーは、糜芳が劉備・曹操・孫権という三国の指導者に仕えた珍しい経歴の主であると指摘している。
(出典:Wikipedia)
糜
漢検1級
部首:⽶
17画
芳
常用漢字
中学
部首:⾋
7画
“糜”で始まる語句
糜爛
糜竺
糜
糜夫人
糜爛性
糜爛性腫瘍
糜氏
糜藁
糜爛化