あたえ)” の例文
この時に大和のあやあたえの祖先のアチのあたえが、天皇をひそかに盜み出して、お馬にお乘せ申し上げて大和にお連れ申し上げました。
この外続日本紀神護景雲元年三月には、近衛将曹従六位下勲六等間人直はしひとのあたえ足人という名も見えて、あたえ姓の家もあった。その他古文書に散見して出自不明の間人姓のものも少くないのである。
間人考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
これは出雲の國のみやつこ・ムザシの國の造・カミツウナカミの國の造・シモツウナカミの國の造・イジムの國の造・津島のあがたあたえ遠江とおとおみの國の造たちの祖先です。
事が起ると足擦あしずりしてお妬みなさいました。しかるに天皇、吉備きび海部あまべあたえの女、黒姫くろひめという者が美しいとお聞き遊ばされて、し上げてお使いなさいました。