「ああ、それそれ、もう一つ仙台家に——特に天下に全くかけ替えのない王羲之があるそうですが、御存じですか、王羲之の孝経——」
それを考えるときは、本から習った方がいいと気がつく。順次低下して際限なく、終には滅茶滅茶な弘法大師になる。そこで王羲之のがいいと思ったらそれを直接習うがいい。
なるほど読めない。読めないところをもって見るとよほど名家の書いたものに違いない。ことによると王羲之かも知れない。えらそうで読めない字を見ると余は必ず王羲之にしたくなる。
“王羲之”の解説
王 羲之(おう ぎし、Wáng Xīzhī、303年 - 361年王羲之の生没年には、303年 - 361年(『東観余論』の説)、306年 - 364年、321年 - 379年、303年 - 379年(姜亮夫の説)、307年 - 365年(清の魯一同(ろ いつどう、1804年? - 1863年)の説)など諸説あるが、303年 - 361年が比較的信頼性があるとされている。)は、中国東晋の政治家・書家。字は逸少。右軍将軍となったことから世に王右軍とも呼ばれている。本貫は琅邪郡臨沂県(現在の山東省臨沂市蘭山区)。魏晋南北朝時代を代表する門閥貴族の琅邪王氏の出身である。
(出典:Wikipedia)
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