牙城がじょう)” の例文
この戦争が本土決戦に移り、もしも広島が最後の牙城がじょうとなるとしたら、その時、己は決然と命を捨てて戦うことができるであろうか。
壊滅の序曲 (新字新仮名) / 原民喜(著)
そもそもこのバーミンガム市は、チャンバーレンの本営牙城がじょうにして、氏の政敵のかつて足一歩も踏み入るるあたわざりし所である。
貧乏物語 (新字新仮名) / 河上肇(著)
偉くなろうという努力が、ばからしいものに見えて来た。僕には、斎藤氏のように、あんな堂々たる牙城がじょうは、とても作れそうもないんだ。
正義と微笑 (新字新仮名) / 太宰治(著)
平井山の本営を降りて、敵の牙城がじょう、三木の城に対峙たいじしている味方の前線布塁ふるいを、彼は一わたり見て帰って来た。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
『読売新聞』を牙城がじょうとした紅葉は堀紫山ほりしざんを幕僚と頼んで三面及び文芸欄は思うままに主宰した。
私の生活はこれを世の強者——天才の生活に比ぶれば勿論弱者の生活である。私は世の戦いに自分の牙城がじょうを奪われることがあっても、是非あくまでも死守しようと思っている本城がある。
鏡心灯語 抄 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
千種川ちぐさがわ上流のけわしい渓谷をはさんで、苔縄こけなわとりでと白旗城のふたつが、いわゆる牙城がじょうのかたちをしており、攻めるほど、味方は死傷をかさねるばかりだったのだ。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この地方に、敵方の城は、要所要所に幾つもあるが、要するに、牙城がじょうは長亭軒の一城と見てよい。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
山州さんしゅう宝寺の城を彼はしきりに改築していた。山崎合戦の際には、光秀が牙城がじょうとしていたところである。ここへ母や妻を入れなかったのも、彼には深慮のあることだった。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すなわち光秀の本軍は山城方面から、秀吉の弟秀長の軍勢は但馬たじま方面から、また丹羽五郎左衛門の一手は摂津口からと、三方面から競進の勢いで波多野の牙城がじょう八上へ迫った。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さらに敵が不落とたのむ鳥越とりごえ牙城がじょうを抜いて、能登半島と加賀の境を中断し、一挙に、前田方の勢力を分断するにしかず——と思いついたことから、この大兵をうごかして来たものだった。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
敵性の牙城がじょう大坂までがに入ったこの時に会して、何も、ふた昔も前の臣下の罪や過失を罰しなくてもよいであろうに——と、恐怖をとおり越して、臣はいささかその苛烈かれつな追求に対して
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
今や樊川はんせんの曹仁が、駸々しんしんと堺に迫りつつある事態を告げ、出でてこれを迎撃し、さらに敵の牙城がじょう樊川を奪り、もって、蜀漢の前衛基地としてこの荊州を万代のやすきにおかねばならないと演説した。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
牙城がじょう、三木城の攻略は、まだ半途でしかない。折も折
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)