檻車かんしゃ)” の例文
そしてまた、ただちに檻車かんしゃの支度を命じ、宋江を、賊名鄆城虎うんじょうこ張三ちょうさんとして、州の奉行所のほうへ、差廻す手順にかかりだしていた。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼が檻車かんしゃ江戸の死獄に送られんとするや、その諸妹に与えて曰く、「心あれや人の母たる人達よかからん事は武士もののふの常」と。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
何よりの証拠は、その賊魁ぞっかいの男を見たとたんの貴さまの顔にも現われていた。——それ者どもこの両名を、用意の檻車かんしゃへすぐち込め
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ここにおいて、彼は五月二十六日、梅雨を冒し、檻車かんしゃ萩城を発し、一路の江山を随意に眺め、あるいは淡路島に対しては
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
ついてはまた、貴下の軍は、これより何処へ参らるるか。そして、あれなる檻車かんしゃにある人間は、賊将の張角でも生擒いけどってこられたのであるか
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
檻車かんしゃ江戸に護送せらるることを聞かざるべからざるに到れり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
近江の蓮浄れんじょう、山城守基兼、式部正綱、等々々、一介いっかい平人ひらびとになって、無数の檻車かんしゃが、八方の遠国へ、生けるしかばねを送って行った。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
檻車かんしゃにほうり込まれて、さきに呉へ護送されていた黄祖の臣——大将蘇飛そひは、呉の総軍が、凱旋してきたと人づてに聞いて
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「あっ、る……」兄の袖をひくと、範綱も、見あげていた。そこは、さっき、文覚護送の檻車かんしゃが通った時、たくさん、見物がいた所である。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
法を出して民を安んじ、夏侯楙は檻車かんしゃのうちに虜囚りょしゅうとしておき、また諸大将を一閣に寄せて、その戦功を彰した。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
唯々いいとして、武松は獄へ下がってゆく。そして次の日には、重罪犯の檻車かんしゃに載せられ、東平府へ送られて行った。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
見ると——人間のつなみに押しもまれながら、一台の檻車かんしゃが、ぐわらぐわらとくぼの多い道を揺られてゆく。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「以前、わが父孫堅を殺した敵将はこいつだ。すぐ斬るのは惜しい。黄祖の首と二つ並べて、凱旋ののち父の墓を祭ろう。檻車かんしゃへほうりこんで本国へさし立てろ」
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこで、曹操の身はたちまち、かねて備えてある鉄の檻車かんしゃにほうりこまれ、明日にも洛陽へ護送して行くばかりとなし、守備の兵や吏事たちは、大いに酒を飲んで祝った。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
檻車かんしゃをもって槙島まきしまへ送られ、虜将の生き恥に耐え忍びおるも、番士の隙あらば、ここを破って脱出し、しん予譲よじょうならうまでもなく、いつかは筑前に狙い寄り、お命をいただいて
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「だが、おかしいぞ、熊でも捕まえて入れてくるのか、檻車かんしゃをひいて来るじゃないか」
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ところがこの頃すでに、その仇なる范疆はんきょう、張達の両人は、身を鎖でいましめられ、檻車かんしゃに乗せられて、呉の建業から差し立てられ、道中駅路駅路で庶民の見世物にさらされていたのであった。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼は黄匪討伐の征野からざんせられて、檻車かんしゃで都へ送られ、一度は軍の裁廷で罪を宣せられたが、後、彼を陥し入れた左豊さほうの失脚とともに、ゆるされて再び中郎将の原職に復していたのである。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「鄭文を檻車かんしゃに入れておけ」と、しばらく斬るのを見合わせた。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)