梓行しこう)” の例文
何故というに天保八年の春に梓行しこうせられた『広益諸家人名録』はつとに詩人として枕山の名と住所とを掲げているからである。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
べんジ其名実ヲただシ集メテ以テ之ヲ大成シ此ニ日本植物誌ヲ作ルヲ素志そしトナシ我身命ヲシテ其成功ヲ見ント欲スさきニハ其宿望遂ニ抑フ可カラズ僅カニ一介書生ノ身ヲ以テ敢テ此大業ニ当リ自ラなげうツテ先ヅ其図篇ヲ発刊シ其事漸クちょつきシトいえどモ後いくばクモナク悲運ニ遭遇シテ其梓行しこうヲ停止シ此ニ再ビ好機来復ノ日ヲ
遠くは菱川師宣ひしかわもろのぶの『狂歌旅枕たびまくら』、近くは宝暦ほうれき初年西村重長にしむらしげながの『江戸土産えどみやげ』及び明和めいわに入りて鈴木春信が『続江戸土産』の梓行しこうあるに過ぎざりしが
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
柳北の新館とは確堂がその側室お蝶のために文久元年六月向柳原むこうやなぎわらに築いた有待舎のことであろう。有待舎の記は博文館梓行しこうの『柳北全集』に載っている。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
政美のはじめて『蕙斎人物略画式けいさいじんぶつりゃくがしき』をいだせしは寛政かんせい七年にして『北斎漫画』初篇梓行しこうさきんずること正に二十年なり(寛政七年北斎は菱川宗理ひしかわそうりと称し多く摺物を描けり)
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
蜀山人始め寝惚ねぼけ先生と号して狂詩集を梓行しこうせしは明和四年十九歳の時にしてその先輩平秩東作平賀鳩渓ひらがきゅうけいらと始めて相知れり。さればこの時既に狂詩と共に狂歌の吟咏ありしや明かなり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
この年四月京都の某書肆しょしが『明治三十八家絶句』を梓行しこうした。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)