我童がどう)” の例文
俳優の舞台顔——わたしは今まで団十郎や菊五郎や左団次や高助や我童がどうや権十郎や、それらを標準として、すべての俳優の舞台顔の善悪を判断していたのであるが
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
文治は年廿四歳で男のよろしいことは役者で申さば左團次さだんじ宗十郎そうじゅうろうを一緒にして、訥升とつしょうの品があって、可愛らしい処が家橘かきつ小團治こだんじで、我童がどう兄弟と福助ふくすけの愛敬を衣に振り掛けて
業平文治漂流奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
現今いまの左団次の伯父さんの中村寿三郎じゅさぶろうや、吉右衛門きちえもんのお父さんの時蔵や、昨年死んだ仁左衛門にざえもん我当がとうのころや、現今いまの仁左衛門のお父さんの我童がどうや、猿之助えんのすけのお父さんの右田作うたさく時代、みんな、芸も
わたくしの役はあんまい役じゃアありません、芝居だとつッころばしで家橘かきつ我童がどう小團次こだんじどこの役で、今考えると面白いが、旦那は立役たちやくで、うしろから出て笠をって舁夫をほうり出して
先代の中村芝翫しかん座頭ざがしらにして、中村福助、片岡我童がどう、市川権十郎、関三十郎などの顔ぶれで、我童と権十郎とがほとんどおなじような位置を占めている人気争いの両花形であった。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「松島屋だ、我童がどうだ。」
現に中村歌六は片岡我童がどうや市川権十郎と一座して、土間どまの観客たった一人という芝居を演じた例があるといい、市川新十郎も観客三十六人という芝居に出逢であったことがあるという。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)