市ヶ谷いちがや)” の例文
その後天明二年に至って尾州侯にへいせられその上屋舗かみやしき内なる市ヶ谷いちがや合羽坂かっぱざかに住宅を賜った。竹渓が遷館三所といった所以ゆえんである。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
市ヶ谷いちがや士官しかん学校のそばとかに住んでいたのだが、うまやなどがあって、やしきが広過ぎるので、そこを売り払って、ここへ引っ越して来たけれども
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
子供心に不思議に思って、だんだん聞いてみると、これは市ヶ谷いちがや辺に屋敷を構えていた旗本八万騎の一人で、維新後思い切って身を落し、こういう稼業を始めたのだと云う。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
明くる日はかごかきの人足まで皆村方から出て来て、その外お供が非常に多かった。三島明神みょうじんの一の鳥居前から、右に入って、市ヶ谷いちがや中原なかはら中島なかしま大場だいばと過ぎ、平井ひらいの里で昼食ちゅうじき
丹那山の怪 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
余は元治元年二月二十八日をもって江戸市ヶ谷いちがや合羽坂かっぱざか尾州びしゅう分邸に生れたり。
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
市ヶ谷いちがや自証院じしょういん惣墓そうばかの中に、西応従徳さいおうじゅうとくと云う法名を彫った墓がある。
女仙 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
彼はその日無沙汰ぶさた見舞かたがた市ヶ谷いちがや薬王寺やくおうじ前にいる兄のうちへも寄って、島田の事をいて見ようかと考えていたが、時間の遅くなったのと
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
奥さんの父親はたしか鳥取とっとりかどこかの出であるのに、お母さんの方はまだ江戸といった時分じぶん市ヶ谷いちがやで生れた女なので、奥さんは冗談半分そういったのである。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
この手紙があなたの手に落ちるころには、私はもうこの世にはいないでしょう。とくに死んでいるでしょう。妻は十日ばかり前から市ヶ谷いちがや叔母おばの所へ行きました。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)