屏居へいきょ)” の例文
下宿にある岸本は当分客をことわるようにして、ほとんど誰にもわずに屏居へいきょの日を送っていた。五月の下旬になった頃であった。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
しかれども彼は亡邸のために、籍を削られ、禄を奪われ、家に屏居へいきょせしめられたり。彼が行路はここに蹉跌さてつしたりき。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
これは師たる兼松石居がすで屏居へいきょゆるされて藩の督学を拝したので、その門人もまた挙用せられたのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
否々いないな、一たん寺門に入って、世へ屏居へいきょと触れたからには、たとえ剃髪ていはつはなさらぬまでも、めったにお心をひるがえす兄上ではない……と一族どもを押しなだめて
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
十五代続いた徳川家にようやく没落の悲運が来て、将軍慶喜よしのぶは寛永寺に屏居へいきょし恭順の意を示している一方、幕臣達は隊を組んで安房、下総、会津等へ日に夜に脱走を企てる。
開運の鼓 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
まだ夜のような冬のあしただが、彼はここに屏居へいきょいらい、朝々のそれを欠かしたことはない。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼は故郷に屏居へいきょせしめられたるにかかわらず、知を藩主にかたじけのうし、再び十年間遊学の許可を得、嘉永六年正月萩を発し、芸州より四国に渡り、大坂に達し、畿内を経、伊賀より伊勢に入り
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
ところが、ほどなく、師直は突如、罷免ひめんされて、屏居へいきょ謹慎を仰せつかってしまった。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「あいさつだけを受けておけ。屏居へいきょの身だ。会釈えしゃくにおよばん」
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
師直の罷免ひめん屏居へいきょ
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)