官軍かんぐん)” の例文
そうして、五がつ十五にち上野うえのでは、官軍かんぐん彰義隊しょうぎたいのあいだに戦争せんそうがはじまり、彰義隊しょうぎたいは、まけてちりぢりばらばらになり、寛永寺かんえいじもやけてしまいました。
りに一歩をゆずり、幕末にさいして外国がいこく干渉かんしょううれいありしとせんか、その機会きかい官軍かんぐん東下とうか、徳川顛覆てんぷくの場合にあらずして、むしろ長州征伐ちょうしゅうせいばつの時にありしならん。
この上野うえのでは、江戸えどへはいった官軍かんぐん彰義隊しょうぎたいとのあいだに戦争せんそうがあり、そこから八キロメートルばかりはなれた慶応義塾けいおうぎじゅくまで、大砲たいほうおとがきこえてきました。
という手紙てがみをそえて、官軍かんぐん参謀さんぼう黒田清隆くろだきよたかにおくったのでした。諭吉ゆきちは、そのノートだとわかりましたので、これをうまくつかって、武揚たけあきをたすけようとおもいついたのです。