大学頭だいがくのかみ)” の例文
旧字:大學頭
大学頭だいがくのかみ林家より、参りましたものにござりまするが、なにとぞ先生のご来診を得たく、折り入ってお願い申し上げまする」
大鵬のゆくえ (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
帝崩御後十数年にして制定せられた大宝令によると、大学の学生は定員四百三十人で、博士はかせは七人、助教は二人、その他に大学頭だいがくのかみ以下五人の役人がある。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
もし、内匠頭の舎弟の大学頭だいがくのかみの家名再興の事がかなった時には、それは浅野家再興の第一の入庫金となるものであったが、内蔵助の苦衷くちゅうは酬われなかった。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ある時、松平大学頭だいがくのかみ徒士かちざむらひが病気にかゝつてびに来た。元孝は二つ返事で飛んで往つた。そして仔細らしい顔つきで、病人の腹を診てゐたが、一寸小首をかしげて
彦根ひこねよりする井伊掃部頭かもんのかみ、名古屋よりする成瀬隼人之正なるせはやとのしょう、江戸よりする長崎奉行水野筑後守ちくごのかみ、老中間部下総守まなべしもうさのかみ、林大学頭だいがくのかみ、監察岩瀬肥後守ひごのかみから、水戸の武田耕雲斎たけだこううんさい
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
維時の子の重光の子の匡衡まさひらも文章博士、維時の子の斉光は東宮学士、斉光の子の為基も文章博士であり、大江家の系図をれば、文章博士や大学頭だいがくのかみの鈴なりで、定基は為基の弟
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
私が二、三日前、ふと夜店で手に入れた天保七年の御江戸分間地図を見ると、道三橋からたつくち、八代洲河岸にかけて、諸大名や、林大学頭だいがくのかみの御上屋敷、定火消じょうびけし屋敷などが立並んでいる。
不尽の高根 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
老中若年寄りを初めとしはやし大学頭だいがくのかみなど列座の上、下見の相談の催おされたのは年も押し詰まった師走しわすのことであったが
北斎と幽霊 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
大学頭だいがくのかみ紀ノ行親の家にも、近ごろ覆面の武士三名が押入った。妻女を暴行しようとしたのに行親は手むかッて、斬り殺された。——儒家じゅかの良師範といわれていた行親だけにその死はいたく惜しまれた。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)