執権しっけん)” の例文
旧字:執權
いかにも、幕府部内のあわてぶりやら、またここの長陣にしびれを切らしている執権しっけん高時の周囲なども眼にみえるような督戦の令だった。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
此の皿山は人皇にんのう九十六代後醍醐天皇ごだいごてんのう、北條九代の執権しっけん相摸守高時さがみのかみたかときの為めに、元弘げんこう二年三月隠岐国おきのくにてきせられ給いし時
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
なにかの本で読んだうろ覚えであるが、時の執権しっけんが味噌で酒を飲み、語り明かしたというのは、すがすがしい話ではないか、と芳村は笑いながら云ったものだ。
滝口 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
あるいは「執権しっけん」という名の人、あるいは「関白かんぱく」という名の人たちによって、握られてきた。
執権しっけん高時ともあろうお方が、田楽でんがくが好きで田楽を舞い、アッハッハッ、ヘッヘッヘッ、それを天狗にからかわれ、天狗などとは夢にも知らず、新座本座の田楽法師が、伺候したものと思い込み
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
と、不安な朝食をすましているまに、はや若宮小路わかみやこうじ執権しっけんノ御所でも、あきらかに、何かあったらしいうごきを総門の内外に見せていた。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのときから、執権しっけん北条氏が、必然に権力者となったのである。それから一三三三年まで百十四年間にわたって権力を握った。北条氏は、三代にわたり、人民のために、善政をほどこした。
わずか五年前をかえりみれば、執権しっけん高時は、後醍醐の怨敵おんてきだった。また義貞は、その北条九代の府を、一ちょうのまに、瓦礫がれきとなさしめた人だった。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
亡き執権しっけん高時の弟、北条左近大夫泰家は、まだどこかに生きているはずであるし、高時の子のうち、一人は殺されたが、次子の亀寿丸(後の時行)は
「わけて近江伊吹には、執権しっけんのご信頼あつき佐々木道誉もおりますこと。……また佐々木の同族、六角時信も、粟田口あわたぐちあたりで加わるはずでござりますゆえ」
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「脇屋殿! 政所まんどころの徴税の令は、台命ですぞ。執権しっけん殿のおことばもおなじものだ! 台命にそむき召さるか」
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
先ごろ、熊野新宮へ御寄進の大釜おおがま一口に、大檀那おおだんな鎌倉ノ執権しっけん北条高時と、御銘ぎょめいらせたものを運ばせたとか伺っていた。それの帰りの一と組だろう、このやから
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
が、あいにく北条家九代のちゃくと生れ、天下の執権しっけんという、彼に似合わない政権と武権を双手にしていた。——いや、似合わないとは、彼も彼の肉親も、思いはしない。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
道誉といえば、たれも知るように、執権しっけん高時のそばには、何につけ欠くべからざるお気に入りの近侍人といっていい。その道誉が君侍くんじをはなれて現地へくとはどういうわけか。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
太刀執たちとりは、そちたちにまかせる。——まずこの執権しっけんの御奉書を読みきかせ、すみやかに、刑を執りおこなってしまうのだ。わしは近くでは見るにたえん。ここにいて、検分しておる。早くいたせ」
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
先年、北条一門滅亡のさいに、執権しっけん高時のじつの弟、北条左近大夫泰家やすいえは、奥州へのがれていたが、ほとぼりもさめた頃と、京都へ入りこみ、旧縁をたよって、いつからか西園寺の内に寄食し、名も
「なにとぞ、ご執権しっけんをうごかして、事なく相すみますように」
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)