四方太しほうだ)” の例文
句風以外の特色をいはんか、鳥取の俳人は皆四方太しほうだ流の書体たくみなるに反して、取手とりで下総しもうさ)辺の俳人はきたなき読みにくき字を書けり。
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
また子規氏は写生文と言うものをも始めたが、この方面では坂本四方太しほうだ氏、寒川鼠骨さむかわそこつ氏などが最も子規氏に見出されていた。
鳴雪自叙伝 (新字新仮名) / 内藤鳴雪(著)
夏目先生、虚子、鼠骨そこつ、それから多分四方太しほうだも一処で神田連雀町れんじゃくちょうの鶏肉屋でめしを食ったことがあった。どうした機会であったか忘れてしまった。
高浜さんと私 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
その頃同級生であって記憶に残っているものは久保天随てんずい、坂本四方太しほうだ、大谷繞石じょうせき中久喜信周なかくきしんしゅう諸君位のものである。
子規居士と余 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
大津絵二枚、これは五枚の中のへげ残りがふすまに貼られて居る。四方太しほうだが大津から買ふて来た奉書摺ほうしょずりのものである。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
坂本君は本名の四方太よもた四方太しほうだと読ませていたが、寅彦君は本名そのまま寅彦で押し通したのであった。
漱石氏と私 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
四方太しほうだは『八笑人はっしょうじん』の愛読者なりといふ。おおいにわが心を得たり。恋愛小説のみ持囃もてはやさるる中に鯉丈りじょう崇拝とは珍し。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
この猿楽町には子規居士も来るし飄亭ひょうてい、碧梧桐、露月ろげつ四方太しほうだなどの諸君もさかんに出入するし、その『ホトトギス』が漸く俳句界の一勢力になって来たので、私の仕事も相当に多忙になって来た。
漱石氏と私 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
このほか鳴雪めいせつ四方太しほうだ紅緑こうろく、等諸氏の句については近来見る処が少ないのでわざと評を省いて置く。〔『ホトトギス』第五巻第八号 明治35・5・20 二〕
病牀苦語 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
子規はかつて四方太しほうだのいった如く
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)